キューバ暮らし > 2003年6月12日のハバナ市民
◆ 2003年6月12日のハバナ市民
その前日、団地の階段で近所の人たちが、深刻な表情で話し合っていたので、中の一人、オダーリに訊くと、「EU (ヨーロッパ共同体)が、米国の圧力のもとで、スペインとイタリア両国の提案で、反キューバ政策を決めた」とのことです。
「大変なことになるよ」
いつもの陽気な井戸端会議は影をひそめ、暫し沈黙が。
夜、男の子が、「マルチャがある」と各戸に報せにきました。
翌朝4時ハバナの各地から 大型バスのカメジョが出て、7時半からスペイン大使館とイタリア大使館前でデモ行進が行なわれるということです。
夜明け前、大通りはカメジョを待つ人でいっぱいに。
ついにサトウキビを運ぶ大型トラ ックが数台やってきました。
高速道路の出口でカメジョ渋滞が起こっているとのことで、身の丈の2倍もあるトラックによじ登り(降りる時は2人掛り)、旧ハバナ市へ。
通りという通りが人と旗、プラカードで埋め尽くされています。
スペインのアスナル大統領が、手の「鉤十字」を高々と上げている写真のプラカードには、「アスナル、小さな総統」と書かれ、「ベルルスコーニよ、シーザー、ネロやムソリー二の時代ではない」というプラカードも。
「アバホ・ファシズモ!(打倒ファシズム)」の声が轟いて、
人々がキューバ国旗を振りながら唱和して歩いています。
突然、私の前を歩いていたお婆ちゃまがテレビカメラを見つけて、
「オジェ(聞いて)! アバホ・ファシズモ!」と、
カメラに向かって、旗を振って大声で言いました。
笛を吹いてサルサのリズムで踊りながら行進している一群もいれば、お洒落をしたカップル、子ども連れの家族、制服の学生たち、南米の国々の国旗を翻した団体など、実に様々な人々が参加して、スペイン大使館前の行進は10時半までも続きました。
前夜突然決まった行進に、かくも大勢の人が我が事として早朝から集まる、その心意気に、清純な感動を覚えました。
スペインのアスナル大統領が、手の「鉤十字」を高々と上げているプラカードには、
「アスナル、小さな総統」と書かれています。
夜が開け始めてもまだ乗りきれない人たちが、トラックで出かけるところ。
このトラックも満載で、私は次のトラックが来るのを、待ったのでした
デモ行進が終わったひとたちが、コーヒーを飲んでいました。
プエルト・リコ国旗の帽子をかぶった人は、その頭にキューバ国旗を2本挿して、
「キューバとプエルト・リコは翼の両翼だ、とホセ・マルティが言ったんだ」と、私に教えてくれました。
今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪
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