”モンカダ&カルロス・マニュエル・デ・セスペデス兵舎襲撃60周年記念式典


あまりに素晴らしいので、翻訳者の了解の下に。

2013年7月26日サンチャゴ・デ・クーバ(下段にスペイン語原文)

ベネズエラボリバール主義共和国大統領
ニコラス・マドゥ―ロ大統領演説

 

ラウル・カストロ・ルス キュ―バ最高評議会議長同志:

親愛なる"ぺぺ“ウルグアイ東方共和国大統領同志:、

兄弟国ボリビアのエボ“:

兄弟国ニカラグア大統領ダニエル・オルテガ司令官同志:

更にドミニカのル―ズベルト・スケリット首相:

ボールドウィン・ スペンサー アンティーグア・バルバドス首相:

親愛なるサン・ ビセンテ ・ グラナディーナス首相:

及びエクアドル共和国外相同志:

 

今ここに我々は真に歴史的な日を過ごしています。本日が「百周年世代」 グループの日、マルティの、フィデルの日であり、また、サンティアゴ デ ク―バ、キューバ全国またラテンアメリカ全域における反逆の日であることを、サンティアゴ デ ク―バの黎明と共に我々は想起しました。

.

―喝采

 

我々が愛した、永遠に記憶される最高司令官 ウ―ゴ チャベス フリアスが称した如きドンキホーテ的勇気に満ちた反逆の日であります。

 

‐喝采

 

数年前には、超人的存在であり人民のリーダーであったチャベスと、わがベネズエラ人民の勝利に対して、このサンティアゴの街でも祝福と不断の愛を捧げて頂いたものと思います。 

モンカダ兵営襲撃は疑いなく、何代もの先駆者が挑戦しても果たせなかった希望の追求であり、ホセ マルティの夢に再挑戦する能力を備え、敢えて自らをそれに捧げ実行した若者達による20世紀における過去の歴史への応答だったのであります。モンカダ兵営攻撃の50年前、キューバ独立を目指す愛国者軍はサンティアゴに入城出来ませんでした。それを妨げたのは、その100年前にジョーン・クインシ― やジェームス・モンローが“熟した果実”論の中で予見した通り、20世紀初頭の世界に勃興しつつっあった米帝国主義の魔手がキューバを支配すべく、キューバに伸びた事実でした。モンカダ兵営攻撃に先立つ50年間はキューバの独立と自由に命を奉げた世代の失敗の歴史でした。

かくて、銃声が鳴り響き、サンティアゴ デ ク―バが硝煙の匂いに夜明けを迎えたその日、独立革命軍はこの歴史的モンカダ兵営の中庭にて戦っていたのです。

 

―喝采

 

フィデル、ラウル、アベルの「百周年世代」 グループは使徒の、即ちマルティの旗を掲げましたが、これはボリバルの旗を掲げたことと同様です。我らのアメリカ<ラテンアメリカ>の世紀19世紀にシモン ボリバールの企図を誌的散文の中に再現したのはホセ マルティです。 彼は、ラテンアメリカの独立と団結に向けての壮大な計画を深く理解し、当時分断されていたラテンアメリカに伸びようとしていた帝国主義の魔手を勇敢にもキュ―バ独立により払いのけようとしたのです。

今ここに、私とともにベネズエラから市民と軍人からなる代表団が参列しております。ベネズエラ国軍の領袖達、チャベスの子供達、わが国最初の女性防衛相であるカルメン メレンデス海軍総督であります。

―喝采

 

パドリーノ・ ロペス ボリバル主義空軍大将、チャベス司令官が創設した愛国者同盟よりの大代表団、そして我々がここにいるということは、チャベスが彼の愛、キューバ、フィデル、我々の国家の偉大な歴史への不断の愛を持って、ここに参列していることを意味するのであります。

―喝采

 

かくて、キューバのサンティアゴ デ ク―バのこのモンカダに翻った反逆の旗は60年を経た現在に於いてもその絶対的価値を失いません。その60年後、素晴らしいことに我々ラテンアメリカ全域がフィデルという灯台を持ち、彼はその知彗を連帯を知ったラテンアメリカに捧げ続けていることであります。

 

―喝采

 

 この60年間に何と多くの出来事が起こったことでしょう。グランマによる上陸、聖なるシエラ マエストラ超え、髭もじゃの天使の降臨、50年にわたっての闘い、経済封鎖に直面したキューバ人民の54年間。あなた達キューバ人民は何と言う威厳をラテンアメリカに与えたことでしょう。あなた達のお蔭でラテンアメリカは立ち上がったのです。今日、我々はALBA(米州ボリバル同盟)、CELAC(ラテンアメリカ・カリブ海諸国連合)、またUNASUR(南米諸国連合)の結成に至っていますモンカダ兵営襲撃後60年が経っても、我々は、その闘いが如何に価値あるものであったかを認識しています。しかし、モンカダが我々の闘いの端緒だったのであります。フィデル万歳!    

 

アベル万歳!

万歳!

ラウル万歳!

万歳!

キューバ万歳!

万歳!

マルティ万歳!

万歳!

ボリバル万歳!

万歳!

ラテンアメリカ万歳!

万歳!

永遠に勝利迄!

 

―喝采

 

 

 

ホセ  “ぺぺ” ムヒカ(ウルグアイ東方共和国大統領)の演説:

 

偉大なる祖国キューバの同志諸君に一言ご挨拶申し上げます。と申しますのは、私、一老兵の心は思い出に満ちているからです。長い時が経過しました。キューバでは人民の尊厳を守るための闘いが数十年繰り広げられて来ました。闘いは、多くの無名戦士もむ戦士達によって遂行されて来ました。その戦士達は洞穴の中で、ラテンアメリカの深い密林の中にまた山中に留まり闘い続けました。何故なら、社会改革は研究所の中で冷然と試されるものではないからです。社会変革は人民による闘いの中で直接的に実証されるのです。男女を問わずすべての人民は社会変革への道の発見に努めつつ前進し、失敗の痛みに満ちた道であっても、それを再度構築し、失敗の原因を究明しつつ、幾千回であろうとも、原点に戻り、立ち上がり続けるのです。社会変革は簡単に手の届くようなすぐ近くにはありません。努力、労働、失敗と成功、苦境の克服、犠牲が総合的に織りなす長期的建設なのです。変革を不可能と諦めることの負の代償は却って大きなものとなるでしょう。

 

従い、根本に於いて敗北はあり得ないのです。闘いを諦めた者こそ敗北の苦痛を味わうのです。

―喝采 

.

従い、このラテンアメリカ人民の尊厳と自尊心を守ってきたキューバ革命は、社会を完全に変えることなど15年や20年で簡単に出来ると夢想していた我々をその夢から揺り起こし、ドンキホーテ的義侠心と勇気を我々に満たし、我々を過去の歴史と衝突させました。物質的変革は文化的変革より容易です。決定的な文化的変革こそが歴史の基礎となるものです。それはキューバ人民が幾世代にわたり、しっかりと時間を掛けて種を蒔いてくれたものなのです。

 

先駆者たちは屈辱と尊厳の価値を我々に教えてくれました。我々は、格差を内包しつつ集合的に制御されたデジタル世界に対し存在を示しつつあります。我々はラテンアメリカに住むことにより、一つのことを学んで来ました。即ち、世界は多様性を尊重することにより存在し得るということです。我々すべてが世界は多様であることを理解することによってのみ、現在から未来へと世界の存続が可能となるのです。他者の尊厳の尊重、またその為の忍耐が必要です。何人にも、たとえ、巨大、強大であっても、弱者を抑圧する権利はないのであります。

―喝采! 

.

 

この革命の60年が与えた貴重な教訓を、富める国々も、自らの平穏を得るために理解しかればならないでしょう。人の一生は短い、極めて短いものです。生きている人々の生命を犠牲にする権利は誰にもありません。この世に誕生し、生きていること自体が奇跡に近いものであり、生命は尊重されなければなりません。

―喝采

 

そして、攻撃に加わった若者たちが確かに未来を夢見て眠ったこの聖堂<モンカダ兵営>に我々は今集まっています。もし、未来を夢見る若者達がいなかったら、我々は未だにジャングルの中をろくに着るものもなく、さまよっていたかも知れません。世界は、未来を夢見ることが出来、危険を顧みず行動する人々がいてこそ、変わり得るものなのであります。

―喝采

 

キューバの若者達の夢と、若い波のうねりが我々のアメリカ全体を動かしました。今我々は老い、しわだらけで白髪となり、 リウマチに悩み、ノスタルジアと想い出だけに生きる者も増え、自らの犯したミスを笑ってもいますが、そのミスは、代償を求めず、平等な社会や最低生活を保証する基本的人権を希求したる夢の結果でもあったのです。我々は、より良い世界を建設し、生命を大切にする能力と資質を人間は持っていると確信しています。

 

世界が、グローバル化された現在、革命、革命という言葉自体も世界的性格を持つことが要求されています。それはまさしく、革命は可能であり、生命を維持、保守し、いかなる人間も尊重され基本的平等を享受し、いかなる抑圧も恐れる必要のない、より良い世界を創り上げるべく戦う為の歴史的必要物であるという思想です。広大な行動範囲、攻撃力を持った空母や航空機がなくなり、兵営が学校になり、大学に変わる時、人類は先史時代を脱し真の進化を果たせるのです。

有難うございました。

 

―喝采

 

サンティアゴの皆様有難うございます。 沢山のことを我々に与え、授けて頂きましたことにつき感謝します。特に人民が、現状に委縮することなく、それを超越して自らの行く道を決定できること身を以って立証頂いたことに感謝します。

 

喝采

 

 

ボリビア複合民族国家エボ モラレス アイマ大統領の演説

 

キューバ国家評議会議長ラウル司令官、ご出席の各国大統領、首相、外相諸兄及びすべてのキュ―バ人民に感謝します。キューバに滞在することはいつも私に、資本主義と帝国主義に対する不断の闘いへの強い意欲を掻き立ててくれます。

本式典に参加することは、我々ラテンアメリカと世界の人民に力強い誇りと主権意識を与えてくれます。 そして、我々人民の解放に向けての戦闘が開始されてから60年後の本日、希望と、ラテンアメリカおよび世界の開放にその身を捧げた人々への信頼の灯がその日に灯り始めたと感じます。忘れられない歴史的指導者たるフィデル兄への我々の尊敬と称賛はキューバ革命に関してのみならず、ラテンアメリカ諸国人民及び世界の革命に関するものなのであります。

―喝采

 

キューバの兄弟諸君。 フィデルは世界人民に対し、その命と理念を捧げた人物であると私は確信しております。フィデルとチャベスこそがアメリカと全世界の解放勢力の指導者なのであります。

―喝采

 

それ故にフィデル及び反帝国主義者であるキューバ人民は最善の賛辞を受けるのです。帝国主義も資本主義も神の栄光を受けることはないと私は確信します。

我々の指導者及びキューバ人民の闘いのお蔭で、私が行って来たことは間違っていなかったと確信を得ています。キューバ革命はアメリカと全世界の反帝国主義革命の母であり、フィデルと彼と共に戦った戦士達はキューバ及び世界の反帝国主義革命の父なのです。

―喝采

 

ですから、兄弟姉妹の皆さん。ちょっとの間考えて見ましょう。資本主義、帝国主義国家に現在何が起きているでしょうか?これらの国々は以前我々の経済資源を大量に略奪し、搾取しましたが、我々が充分覚醒した現在、彼らも最早搾取は出来なくなっています。それ故に我々はラウル司令官に招聘されここに来て、経済封鎖を受けながら、威厳と人間性に富んだキューバ人民への敬意を表するものであります。

―喝采

 

経済封鎖を被りながら威厳を保つキューバ人民の皆さん。あなた達は常に世界の人民及び新しい世代に希望の光を投げかけているのです。キューバの兄弟よ。真に私はキューバ人民の連帯をこの目にし、その中に生活して、フィデルからある重要なことを学びました。ある日彼は私に言いました。「エボよ。我々の持っているものは、例えそれが少なくても皆で分け合おう。余っているものを分け合うのではないのだ。」と。

これが真の連帯であり、それがキューバだと私は信ずるのであります。

―喝采

 

フィデルを先頭にして、キューバは世界の全ての人民に対して、連帯、特に生きた連帯の範を垂れました。誰がそれを無視できるでしょうか?誰がその連帯を忘れることができるでしょうか?私は2005年に医療関連の打ち合わせの為に当国を訪れましたが、その際フィデルとウ―ゴ・ チャベスの会談も行われており、偶々なのか、始めから準備されていたのかは分かりませんが、私は突然他の行事から連れ出されて、この両首脳の会談に同席させられました。その席上でフィデルはウ―ゴ チャベス兄に対して、「奇跡作戦<キューバ・ヴェネズエラ、眼科医療援助隊派遣>で、視覚問題を持つ10万のラテンアメリカ人を手術出来るのだ。視覚は生命そのものともいえるから10万のラテンアメリカ人を無償で視覚手術出来るように頑張ろう。」と言うのを聞きました。その時私は「フィデル議長。何の話ですか?10万のラテンアメリカ人を無償で手術するとは?」と言う他ありませんでしたが、キューバの兄弟姉妹の皆さん。お聞きください。ボリビアだけで、現在までに70万人の国民がその作戦によって手術を受けることが出来たのですよ。

―喝采

 

無償医療援助対象はラテンアメリカの10万人だけにはとどまりませんでした。金額を考えてみれば、一体いくらになるのでしょう。

それが真の連帯なのです。だからこそ、キューバの兄弟姉妹の皆さん。モンカダ兵営襲撃後60年の本日、私は感謝と称賛を捧げるしかないのであります。

本当のところこのキューバ人民の連帯に対しどうお礼を申し上げたら良いのか私にはわかりません、私の大統領としての統治の始めの頃、ボリビアの兄弟の中には私に反対する勢力もありました。従い、もしフィデルとチャベスがいなかったら、ボリビアの文化民主主義革命政府はどうなったでしょうか。しかし、事実としてフィデルとチャベスは私に連帯し、先住民を先頭にする社会勢力が推進するボリビア文化民主主義革命に連帯してくれたのであります。

―喝采

 

キューバ人民及びベネズエラ人民にはこのことを知って頂きたいのです。その両国とボリビアの連帯は政治的なものだけではなく、生命の連帯なのです。

フィデルについてのあるエピソードを申し上げましょう。フィデルがある演説を終えた時でした。演説は午後6時に始まり、真夜中の12時か1時に終わったと思います。

―笑い

出席していた兄弟の何人かは眠ったり起きたりを繰り返していましたが、席を離れる人はいませんでした。

演説が終わると、朝の1時でしたが、フィデルは私を食事に誘ってくれました。そして

沢山話し合いましたが、私は朝7時には帰途につかなければなりませんでした。誰かが「エボはすぐに帰らなければなりません」と言ってくれて、確か朝の5時か5時半に私はフィデル兄のオフィスを去りました。

その際、当時私はまだ大統領ではありませんでしたが、フィデルに、「もし将来大統領選に勝ったら、米国政府の封鎖政策や破壊行為にどう立ち向かえるでしょうか?」と尋ねたところ、フィデルは「エボは独りではない。我々キューバ人やベネズエラ人がいるし、ブラジルのルラやアルゼンチンのネストル キルヒナーもいるではないか。」と答えたのであります。 

―喝采

 

「更に、我々キューバは経済封鎖された島国だが、君達ボリビアは仲の良い隣国があるし、それにも増して石油ガス鉱物といった天然資源を持っているではないか。それなのにどうして米国の封鎖なんかを恐れるのだ。」とフィデルは言いました。このメッセージが私をいかに勇気付けたか想像して下さい。そして事実、我々は国家として、人民として我々の天然資源を有効利用しているのです。ここに世界の諸人民の希望を見出すことも出来ます。

フィデルの一言は、資本主義と帝国主義に抗して闘いを進めることへの私は一切の恐怖を除去したのであります。

―喝采

そして事実我々は孤独ではありませんでした。兄弟姉妹の皆さん。60周年を迎え、ボリビア人民の名に於いて、キューバ人民が果たしてきた行動に対して私は尊敬と称賛の念を伝えたいと思います。確固たる信念を持って、我々の過去と現在の解放者への感謝の念も込めて、我々は人民の為に働き続けます。

 

兄弟姉妹の皆さん。兄であるラウル司令官の招待に大いに感謝しています。そして演説を終わるに当たり、言わせて下さい。フィデル万歳!

―万歳!喝采!

ラウル万歳!

-万歳と喝采!

¡キューバ革命万歳!

―万歳と喝采!

そして、世界の反帝国主義者万歳!

―万歳と喝采!

 

 

 

 

ニカラグア共和国ダニエル オルテガ サアベドラ大統領の演説

 

早朝我々がサンティアゴ空港に到着しようとしていた時、私は新聞記者達からモンカダについて尋ねられました。私は、モンカダ襲撃のあった1953年7月には、11月生まれだから7歳から8歳になりかけていたと答えましたが、事実モンカダのことは父に教えられて知りました。父は当時ニカラグアの革命闘争に挺身して日夜同志との集会を持ち、人民の闘いと定義した、ソモサ暴政への抵抗活動を企てていましたので、そういう父にとって、モンカダ襲撃は当然一つの激震でした。子供だった私もそういう父の思いをよく聞かされました。

 

その後1967年に私は当国ハバナで開かれた第四回ラテンアメリカ学生会議に参加しました。その時色々な場所を回りましたが、勿論モンカダはその巡回に無くてはならないものでした。その時私は初めて、キューバ人民の、アメリカ人民のそして世界人民の尊厳の生きた証左に遭遇したのです。

―喝采

 

親愛なるフィデル、親愛なるラウル、親愛なる“ぺぺ”、ルシア トポランスキー、ニコラス、ニコラス兄、チャベスの息子、そして、ボリビア革命の先頭に立つ労働者であり、

―喝采

 

親愛なる兄弟であり先住民の疑いなきリーダーにして代表者たるエボ モラレス、

ドミニカの兄弟スケリット、アンティーグア バルブ―ダのボールドウィン・ スペンサー、姉妹国たるエクアドル共和国よりのリカルド パティーニョ兄、ニカラグアにいて帝国主義に操られた独裁政権に対する抵抗闘争のサンディニスタ戦士リカルド。

―喝采

 

サンビセンテ グラナディーナス首相ラルフ ゴンサルベス。そしてサンタ ルシアの“ケニ―” アンソニー

―喝采

 

親愛なるキューバの兄弟の皆さん。親愛なるキューバ人民の皆さん。あなた達は、マルティからフィデルへ、リオスの闘いからモンカダにマルティの旗を掲げたフィデル迄、以後、現在までの思想の闘い、モンカダよりグランマへ、グランマよりシエラ・ マエストラへ、シエラ・ マエストラらより勝利へ、59年の勝利より新たな闘いへ、そしてヒロンおける新たな勝利、社会主義の建設及び帝国主義者による封鎖に抗しての思想防衛そして、キューバ人民に対する恨みと憎しみへの生贄として、73人ものキューバ人アスリ―トの乗った航空機を爆破したヤンキ―帝国のこの上なく残酷なテロリズムに抗して、人民による人民の為の闘いを続けて来たのです。そして現在も、モンカダでの決起以来60年キューバ人民の自由と尊厳の為に、フィデルと、ラウルと、アベルと共に不断の闘いの中に生きているのです。

―喝采

 

マルティ、フィデル、革命は人民の中に、教育、健康、生産、スポーツ、文化、科学、技術から体現化され、革命の基本的獲得物を防衛する新たな挑戦に取り組んでいます。エリアン ゴンザレス坊や救出のために人民が動いた時に始まり、帝国の獄舎に繋がれている英雄達の開放へ向けての闘いなどであります。

―喝采

キューバ、フィデル、ラウル、キューバ革命という言葉は、ラテンアメリカ及び世界の人民を奮い立たせ、消すことの出来ない革命の炎をその神秘性と信念によって、すべての闘いとすべての勝利の中に燃やしつつあります。キューバは連帯の星であり、その無限の士気の力をラテンアメリカに、カリブ海諸国に、アフリカにまたアジアに拡散しているのです。思想の闘いは革命的に武装された闘いを産み出し、諸人民の不屈の力は植民地主義、新植民地主義、また帝国主義の専横を退けるのです。それらのすべての闘争、戦闘にモンカダに於ける英雄的行動の精神、そしてフィデルの、ラウルの、そしてその英雄的人民の精神と模範が活かされているのです。

―喝采

 

20世紀末より21世紀初頭にかけて、ラテンアメリカ諸国人民の闘いはフィデル、チャベスが主導する新たな形態の下に栄光ある勝利に向けて前進しました。即ち

米州ボリバル同盟とペトロカリベの結成です。これはラテンアメリカとカリブ人民の団結への決定的な闘いであり、ラテンアメリカ国家とカリブ海国家共同体である南米・カリブ海諸国共同体も発足しました。同共同体の次回首脳会議はここキューバで開催される予定です。これらの共同体は、ボリバル、マルティ、モラサン、サンディーノが追い求めたものでした。唱えられた当時は夢想論として受け止められた理念が今、現実となっているのであります。

―喝采

 

モンカダ襲撃後60年になる今日でも、米帝国主義の最も残虐な攻勢に曝されていながらそれを耐え忍んでいるキューバは、革命とその思想理念がすべてが人民に受け入れられた時、人民の自由、主権、正義、独立そして平和を希求する権利は防衛され、保持されることを立証しているのであります。

―喝采

世界の多極化に伴い、キューバ封鎖が解かれる日が訪れつつあります。ラテンアメリカとカリブ海諸国から成る世界の一極は既にその包囲網の破壊を決意しています。また国連においても、対キューバ封鎖解除支持を表明する国々の数が年ごとに増えつつあります。

ニカラグアは、前世紀からの長い歴史の中で、米国拡大主義に抗する多くの闘いに勝利し、侵略者を撃破し、排除して来ました。ニカラグアは、血と砲火を以って、米国の軍事的占領に立ち向かい、米国占領軍は反帝国主義愛国人民の英雄的抵抗活動の前に粉砕されました。ニカラグアもキューバ革命に遅れること20年ではありますが、キューバとフィデルとの連帯の下に、1979年に革命に勝利したのです。そのニカラグアより、キューバの、フィデルの、ラウルのそしてその人民の心からの連帯に対し、改めて認識と感謝の念を捧げます。

 

親愛なる兄弟、親愛なる姉妹、親愛なるキューバの家族、光輝あるキューバ革命よ、

このモンカダ及びカルロス マヌエル セスペデス兵営襲撃60周年の本日、サンディニスタ人民革命及びニカラグア人民よりの兄弟の抱擁を受けて下さい!

―万歳!

マルティ万歳!

―万歳!

¡フィデル万歳!

―万歳!

ラウル万歳!

―万歳!

英雄的司令官エルネスト ゲバラ万歳!

―万歳!

チャベス万歳!

―万歳!

ラテンアメリカ、カリブ連帯万歳!

―万歳!

永遠の勝利の日まで!

―喝采

 

 

 

 

エクアドル共和国外相リリカルド・パティーニョの演説

 

親愛なる革命の同志の皆様、親愛なるラウル・カストロ・ルス司令官、親愛なるフィデル、親愛なる米州ボリバル同盟諸国及びウルグアイ東方共和国の首脳の皆様。エクアドル人民及びその大統領ラファエル・コレア・デルガードの名に於いて、世界の真ん中に位置する国よりの熱烈なる抱擁をお受け下さい。

かくも大きな意味を持つ歴史的勲功の主人公達と共に、この記念式典に参列する感激はとても言葉で表せるものではありません。マルティ、フィデル、カミ―ロ、チェ、アベル・サンタマリア、フランク・パイス、マセオ、更に多くの人々の地であるこの親愛なるキューバは、アメリカ大陸と全世界に革命的思考と行動を鼓舞する源泉なのです。

60年前の本日2013726日理論は実行に移されました。青臭くはありましたが理想に燃えたキューバ人青年の一群がバティスタの暴政の象徴であったモンカダ兵営を襲撃に決起したのです。ご存じの通り、戦術的に言えば、1953726日は、近年実現した革命運動の逆を行くものですが、米帝国主義に支えられた、かの体制の抑圧に対するキューバ人民の開放戦争はモンカダに火花が散った後数年で始まり、その火花は6年の内に開放の火となり、その後数十年、自らの信念守ること、組織化された人民の集団行動に信を置くことの重要性を教える教訓となって来たのです。

この式典は明らかに、かの襲撃が、とどまることなき革命の潮流を引き起こしたことを物語っています。そして、キューバを溢れ出た革命の潮はカリブ、中南米大陸に、また、数世紀にわたって人間性の簒奪者達の行動により傷つけられて来た人民にうねりながら達したのです。ラテンアメリカの歴史はモンカダ兵営及びそれと切っても切れない関係にある1959年のキューバ革命及びその勝利を分岐点とすると分り易いでしょう。

―喝采

 

「歴史が私を赦すだろう」を読んで、どれだけの人々が社会主義、革命、社会正義の隊列に加わったことでしょう。モンカダ兵営襲撃が国際主義の最初の種を蒔き、後にキューバがそれを世界で実勢し、今も実行しているのです。反帝国主義及び連帯の不死の象徴としてのチェの例を次いで、全世界における被抑圧者の開放のために友好の手を提供し続けて来てくれたキューバの国際的業績を常に我々は称賛と感謝をこめて記憶し続けます。

エクアドルの名に於いてキューバの不断の援助に感謝します。

―喝采

 

モンカダ兵営襲撃により、ラテンアメリカに火花が散りました。その火花は血塗られた独裁政権やその後、ラテンアメリカ人民が耐え忍ぶことで新自由主義的政策によっても消されませんでした。逆に、モンカダ襲撃の勲功と1959年の最終的勝利の精神が浸透した多くの革命的社会運動がラテンアメリカの隅々に巻き起こり、国家によって仕組まれたテロリズムに対して組織化された武装抵抗活動が展開されました。それに参加した青年達だった方々の何人かは、ここに参列していますし、多くの方が高官として国家の統率に当たっています。それらの国家は現在、真の進歩、社会正義、大多数の利益の為に機能しています。キュ―バ革命の息子達であり、モンカダ兵営襲撃の息子たちである各国の首脳がここに参列しています。これらの方々は、チェが、フィデルが、ウ―ゴ・ チャベスが夢見たように、それぞれの国を統率しています。チャベスは卓越したラテンアメリカのリーダーでした。彼のことも忘れることはありません。そして彼は永遠に我々の心の中に生き続けるのであります。

―喝采

 

サンティアゴの勲功が寄与した59年の革命勝利はキューバの解放行程の開始でしたが、更に、ラテンアメリカ大陸の被抑圧諸人民に一つのメッセージを発したものでもありました。自らの為に闘えば、解放の夢は実現されるというメッセージです。

キューバの同志の皆さん。エクアドル及びすべてのラテンアメリカ及びカリブ海諸国はあなた方の闘いと夢を支援し続けます。モンカダのキューバ人英雄の記憶と、フィデルの存在の世界的重要性に鑑み、我々は、 この親愛なる兄弟人民に対する世界最強国による長期にわたる非合法的、非人道的にして犯罪的な封鎖を糾弾します。

―喝采

 

対キューバ経済封鎖に対する懲罰は、最近数十年の国連総会決議に見られて来たように、世界規模でのコンセンサスになっているに拘わらず、この満場一致の懲罰動議がいかなる効果を示して来たでしょうか?類似の蹂躙行為に関して、米国が懲罰を受けて来たでしょうか?これが実際に起こった時初めて、国連創立宣言にて唱えられた地球規模での正義が施され始めたことの兆候となるのです。なんという皮肉でしょう。テロリズムの世界チャンピオンである米国政府がこの親密にして寛大、そして団結したキューバ人民を、テロリストと非難しているのです。キューバ人民が我々に提供しているのは、医療、教育、スポーツ、そして優しさだけなのです。疑いもなく、世界最大のテロリストはテロリズムのチャンピオン国である米国です。

―喝采

 

対キューバ封鎖はいつか終了させなければなりません。従来と異なり現在我々は団結して行動しています。強国が国際法を愚弄して我々を脅迫しようとする時、次のようなことが起こって行きます。例えば712日モンテビデオで開催されたメルコスール首脳会議が、米国政府が世界中で犯した悪辣にして非合法なスパイ行為に対する懲罰を決議しました。同様にモスクワから ラパスへの機中、エボ モラレス大統領に対して加えられた侮辱行為が糾弾されたようにであります。

―喝采

 

そして、当初関与を否定した当局もその後、南米先住民出身大統領エボ・モラレス同志に陳謝せざるを得なくなったのです。

 

米国の裏庭が最早ラテンアメリカには存在しないこと、もし誰かがそうなりたいなら、我々を何も助けることは出来ないと、我々は宣言しました。その為にモンカダでの勲功が大いに役立ったのであります。

―喝采

 

「歴史が私を赦す」と暴政の魔手に落ちた時フィデルは予見しました。歴史はフィデルを既に赦したのみでなく、今は彼と彼の人民に相応しい敬意を表しています。そして世界は彼に歌いかけます。フィデル!フィデル!フィデル!彼が持っているものは、彼と共にいる限り我々ラテンアメリカ人民は共有出来るのであります!

そうです。彼は尊厳さ、勇気、偉大さを持っています。卓越した指導力を持っています。人民への愛に溢れています。キューバ革命万歳!

―万歳

ラテンアメリカ及びカリブ革命万歳!

―万歳!

祖国か死か!

―勝利しよう!

ラウル・カストロ・ルス党第一書記、国家評議会義長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)演説:

 

親愛なる友人の皆さん。私が緑オリーブ色の軍服と将軍の階級章を付けながらキューバ独立軍の帽子をかぶっていることに驚かないで下さい。すべてキューバ独立運動軍由来のものですから。色眼鏡も掛けていますが、本当は私が話し掛けている皆さんの眼を色眼鏡なしにはっきり見たいのです。

―喝采

 

サンティアゴ及び東部キューバの招待客の皆さん。我々は米州ボリバル同盟諸国の、政府トップの方々の連帯と寛容の念に溢れた御挨拶の言葉を傾聴して来ました。またウルグアイのホセ ムヒカ大統領には再度キューバにご来訪頂きました。彼には、この要塞が学校に変わった1960年にも当地に来訪願っていますが、その頃も彼は現在と同じく夢多い青年でした。しかしリュウマチではありませんでした。

―笑いと喝采

 

同様に本式典に参列頂きました他の諸国からの代表の皆様にも感謝申し上げます。

同時に、宗教を超えた団体である「平和のための牧人」によって組織された第24回

米国-キューバ友好キャラバン隊からの参加者の皆様にもご挨拶申し上げます。

―喝采

.

彼らは、忘れることの出来ないルシアス・ ウォ―カ―師の連帯への努力を継承している人達です。

世に知られているフィデルの卓越した自己弁護....。 おや、一枚飛ばしてしまったようです。元に戻ります。

―笑い

 

モンカダ及びカルロス マヌエル デ セスペデス両兵営襲撃60周年を記念するこの行事に、かくも多くの皆様が参列されているということは、キューバ革命への支持と連帯を立証する示威行動であり、我々のアメリカが1953年の困難で暗い日々から如何に変化したかを示すものでもあります。

1953年当時、既に我々は、特にフィデルは、ボリバルなどアメリカ独立に活躍した英雄の偉業について学んでいましたのでラテンアメリカとカリブ海地域が連盟し、独立した地域を作り上げる重要性を理解していました。「歴史が私を赦す」という文書で知られるフィデルの自己弁護論の中でも、それは予見されています。アメリカ大陸に対するキューバの政策は、大陸の民主的人民との緊密な連帯であり、兄弟国民を抑圧する血塗られた暴政に政治的迫害を受けた人々は、マルティの祖国では、迫害にも、飢餓にも、裏切りにも逢うことなく、温かい保護、兄弟愛、そしてパンを得るのです。引用の最後に申し上げます。「キューバは自由の砦にこそなれ、専制の恥ずべき鉄鎖にはなりません。」

マルティの早過ぎた戦死は、メキシコのマヌエル メルカード宛の彼の未完の手紙に記された彼の希望を打ち砕き、暫しキューバ独立を妨げ、合衆国の影響はアンティーリャス諸島にまで拡大され、ラテンアメリカ全体に及ぶようになるのです。

キューバ革命はマルティの思想に連帯し忠実に展開されて来ました。半世紀以上にわたる犯罪的経済封鎖によるキューバの孤立、飢餓による屈服、そしてあらゆる攻撃によってキューバの破壊が企てられており、未だに我々は困難の中にありますが、それ故我々はメキシコのことを絶対に忘れないでしょう。キューバでの拘禁の後、亡命した我々をメキシコは匿ってくれました。また革命勝利後の我々に唯一寄り添ってくれたのはメキシコ政府でした。常に我々は全世界の人民の支持と連帯を受けて来ましたが、特にこのラテンアメリカ地域は、その最終的且つ第二の独立の為に、多様性を抱えながら団結し、ラテンアメリカの不可分の一部としてキューバを見守ってくれたのです。

我々の1月1日の革命成就後20年、ニカラグアではサンディニスタ革命が成就しましたが、若さに溢れたニカラグアではそれを記念する祭典を一週間前にダニエル オルテガオ司令官を先頭にして祝ったのであります。

―喝采

 

更に20年が経過し、親密なる兄弟であるウ―ゴ チャベスはボリバルの思想を体現化し、今日、同志ニコラス マドゥーロ大統領により、その革命は更なる規模で人民の中に着実に推進されて行っています。

―喝采

 

先住民の権利回復の象徴であるエボ モラレスが先頭に立つボリビアの文化民主革命はとどまることなく前進しています。

―喝采

 

ラファエル コレア大統領が先頭に立ち広範な人民の支持のもとに勝利したエクアドル市民革命。今日はリカルド パティーニョ外相が代表として参列されています。

―喝采

 

ウルグアイに於ける社会的前進は、ツパマロ戦士にして14年獄舎に繋がれたホセ ムヒカ同志が先導しています。

―喝采

 

カリブ海諸国にて惹起した持続的発展、正義、主権的平等への闘いの卓越したリーダーであり各国首相である、ドミニカのル―ズベルト・ スケリット、アンティーグア バルバドスのボールドウィン・ スぺンサ―、サンビセンテ グラナディーナスのラルフ・ ゴンサルべス、 サンタ ルシアのケニ― ・アンソニーがここに我々の傍に参列しています。

―喝采

 

我々を分断し、搾取を続けようとする目論見が存在するに拘わらず、我々ラテンアメリカ諸国の統合に向けての歩みはとどまることがありません。米州ボリバル同盟、カリブ共同体、南米共同市場、南米諸国連合等の結成がその好例です。キューバが主宰の栄を取るラテンアメリカ・カリブ海諸国連合体も連帯を深めています。

またこの機会を利用して、キューバ人民、特にハリケーン・ サンディの被害を受けたグアンタナモ州、オルギン州及びサンティアゴ デ ク―バ州民の名に於いて、我々に親切に援助の手を差し伸べて頂き、再建に向けての労働に協力頂いているすべての国家と政府に対し、厚く御礼申し上げます。

―喝采

 

9か月前、ハリケーン・ サンディはサンティアゴ デ ク―バに上陸し、最大風速は時速200KMに達して、5時間にわたって、サンティアゴ デ ク―バ、オルギン、グアンタナモの三州にて猛威を振るいました。その結果11人の市民の生命を奪いました。

この気象現象は中部諸州にも、集中豪雨、洪水の被害を齎しました。精査結果、経済的損失総額は約70億ペソに達しました。電気、通信、道路といったインフラや農業にもかなりの損害を与えましたが、損害の大半は家屋、不動産関連でした。ハリケーンの通り道の中で、サンティアゴ デ ク―バ州、取り分けその州都が、最大の被害を受け、住宅関係資産はその50%が失われ、電気供給及び電話システムは壊滅状態に陥りました。倒れた樹木やあらゆる種類の障害物や瓦礫が数日にわたって、50万人の人口を抱える当国第二の都市の交通を麻痺させました。

オルギン州でもサンディの与えた被害は大きなものでした。4年前、2008年9月に襲来した強いハリケーン アイクの脅威には抗し得た同州北東部の市町村が、今回は

19.3%の住宅と、サトウキビ畑及びその他耕作地のかなりの部分で被害を受けました。しかし、現在までに被害家庭の52%には復興の手立てが与えられています。グアンタナモ州東部の市町村も損害規模は小さいとは言え、同様にこのハリケーンの被害を受けましたが、現在既に復興しています。

―喝采

 

サンティアゴ デ ク―バに話を戻しますと、勿論第一にサンティアゴ市民の自己努力、そして革命空軍、内務省、また全州の電気、電話労働者団体を含む全国からの支援により、最低生活条件は数日のうち回復されました。他方、当国からの要請を待たず、ウ―ゴ チャベス同志が個人的、自発的に送付してくれた緊急支援物資は当初からサンティアゴ デ ク―バに最も早く到着した援助物資の一つでありました。

―喝采

それ以来数カ月、復興作業がとどまることなく続けられ、その結果現在、被害家屋の42%が復旧されています。またサンティアゴ デ ク―バ全州にて、緊急事態緩和に向けての建設プログラムが推進されています。一方、政府は、被害家屋復旧用資材購入費の50%負担、同目的での銀行ローン金利軽減、返済期限延長の措置を取っています。また家屋全壊の場合は国家予算によって金利を負担し、低所得家族に対しては生活保護費を支給しています。同時に、公共衛生、教育、文化、交通システムの復旧が進められ、サンティアゴ デ ク―バ市給水システムの復旧、拡大には2004年に開始された個人投資プロセスが適用されています。その結果、市内30から32水道区において連日給水が確保され、現在隔日給水となっているアルタミラ、リトラル

地域にも各日給水が保証されて行きます。これらのシステムの保守は州政府、企業により執行されます。現在中央政府が統制しているこれらの復旧事業はまだ終わっておりませんが、サンティアゴ市民の皆様には、その直接の参加も頂きがら、

都度より美しく、衛生的で、整備、洗練された街を再建して行くことを改めて確認します。

―喝采

革命のゆりかごであり、誰も忘れることのない街....

それがサンティアゴ!

サンティアゴであり続けよ!

―喝采

 

あの7月26日から60年、未だに我々が生存しているということは奇跡のようです。

あの出来事の後、独裁者の復讐への渇望が猛威をふるい、逮捕された戦士の多くは拷問され、殺害されました。あの襲撃によって、我々は一挙に革命を成就しようと望み、挑みましたが、それはなりませんでした。しかし、きっかり、5年5ヶ月5日の後、1959年1月1日、5千人を超える市防衛軍にフィデルの名において無条件降伏を要求すべく、中央門よりハバナに入城しつつあったのです。

―喝采

我々が裁かれた法廷においてフィデルの堅固さと品格が、被告を原告の立場に逆転させたことが我々の最初の勝利でした。

その後、かの「肥沃な牢獄」、メキシコ亡命、革命軍再結成、ヨットグランマ号によるメキシコ脱出準備活動がありましたが、そのキューバ海岸への到着遅延が、若きリーダー フランク ・パイスによって組織された1956年11月30日のサンティアゴ デ ク―バ 蜂起との連携を妨げてしまったのです。フランク・パイスは当時22歳にもなっていませんでした。翌年23歳の誕生日を迎えることもなく、彼は、独裁政府の官憲により卑劣にも暗殺されたのです。

それと逆に、「ピオでの歓喜」がありました。2週間後フィデルとのシンコ パルマスでの再会、そして開放戦争はシエラ マエストラ山中で開始され、その後他の山岳地帯に戦場は拡大されました。反乱軍司令部が置かれたシエラ マエストラ最前線へのバティスタ軍の総攻撃に抗して74日間絶え間なく激戦を展開した結果決定的勝利がありました。チェが「暴政の背骨を打ち砕いた。」と言ったように、この勝利には大きな意味がありました。それは国際的にも、戦略的反攻を開始させるものであり、革命の成否にかかわる重大な出来事でした。

 

バティスタは、4月のストライキの失敗と、それによる革命勢力の一時的弱体化に付け込み、政府軍を再組織して精鋭部隊を結集させ、最良の武装をもって、シエラ マエストラに攻勢を掛けました。この攻撃には、海軍艦艇も参加し、南方より山脈南斜面に砲撃を加えました。

100回近くの戦闘よりなる4つの作戦が展開され、昼夜分かたず戦闘は続きました。

しかし、フィデルの凄いところは、非常に離れたところにいた我々の第二戦線以外のすべてのゲリラ部隊を再組織したことです。これによって、200丁の銃を集中配備出来ました。更に兵士が増えて、訓練学校も設立されました。小戦闘での勝利を重ねるにつれて、丸腰の兵士も含むゲリラ部隊は統制の取れたものになって行きました。安全を保証する後衛部隊を期待できない中で、200人の革命軍ゲリラが1万人の政府軍と直接に対峙しました。政府軍は飛行機を動員し、山中で活動出来る砲兵隊も出動させましたが、その74日の闘いの中で撃破されたのです。正にチェが「暴政の背骨が打ち砕かれた。」と言った通りになったのです。フィデルは、完全に健康で、我々より良い栄養状態で、大事に扱われた数百人の政府軍捕虜を釈放しましたが、その為に国際赤十字の仲介を要請する必要がありました。

 

このように、1958年の夏、戦争の逆転不可能な仕上げが始まりました。 シエラ マエストラから発した侵攻部隊の作戦と、地下組織の戦士の活動は、フィデルがサンティアゴ入城に先駆けてパルマ・ソリア―ノから呼びかけたゼネストと相俟って、体制を軍事的に崩壊させ、勝利した革命勢力による政権の掌握及びサンティアゴ大学における最初の革命政権による憲法発布を実現化しました。また労働者階級とすべての人民が、その勝利の事実を隠蔽しようとする米国大使館の策略を打ち砕く間に、フィデルはハバナに向け進軍しました。これが壮大な歴史の簡単な総括です。

そして、キューバ社会全体の根幹を震撼させた、より困難な段階が表出しました。

シエラ・マエストラ及びフィデルが戦争末期に利用した隠蔽陣地での戦闘勝利後4カ月半、モンカダ計画達成の為に最初の農地改革法が公布されましたが、それは革命が強大な外国勢力及び地主階級の強大な経済利益に立ち向かうものでした。かかる外国勢力及び地主階級は、武装反革命勢力の跳梁、多くの未成年者を含む青年達の殺害などのサボタージュ、テロを資金面で支え、煽り立てました。それは、19614月のピッグス湾侵攻に繋がりましたが、その直前に革命は社会主義を目指すことが標榜されました。米ソミサイル危機の中で、196210月キューバに直接侵攻すべく、米国は準備に入っていましたし、その後も数十年にわたってキューバ人民に対する間断ない攻撃や犯罪が続いています。

何年もの時は経過しましたが、この革命は引き続き青年によって担われるものなのであります。

―喝采

 

1953726日の我々のように、19561130日サンティアゴ デ ク―バの市街戦を闘い、倒れたのは青年達でした。また60年から65年にかけての5年間の反革命武装勢力との闘いにも多くの青年達が参加しました。この時期2回にわたってハバナ南方を含めキュ―バ全国に雑多な規模の反革命武装集団が現れたからです。青年達はピッグス湾に侵攻した傭兵も撃退しました。未成年者も含め多くの学生が国民の識字運動にも参加し、また民兵組織に、産まれたばかりの正規革命軍や内務省にも結集しました。何十万人もの愛国者たちは国外における国際任務にも従事しました。その最大のものはアンゴラに於いてであり、本日の行事にはアンゴラからの招待客も参加されています。15年にわたる活動期間中に革命軍だけにでも約50万人の青年が参加しました。この事実は今でも大いに語り継がれています。

医療、教育サービス従事者も大多数が青年達であり、その大半は女性です。医療、教育サービスは国内のみならず国外の幾つかの地域でも展開されています。科学者、知識人、芸術家そしてアスリート達は沢山の栄光を勝ち得ています。祖国の呼びかけに応じて軍務につく若者達の中には、女性志願兵も含まれます。中学校生徒と大学生は最近の人口、住宅に関する国勢調査を成功に導く主役を務めました。労働者と農民は生産とサービスに於いて経済の拡大と教育の向上に貢献する収入を産み出しています。

 

この社会主義革命は、1961416日、ピッグス湾侵攻に先立つ爆撃による犠牲者の埋葬の際にフィデルによって唱えられた、富めぬ者の、富めぬ者による、富めぬ者の為のものとしてあり続けます。これを私は繰り返します。何故ならこれは、この

60年間に実証されたからです。また青年が革命の推進者であり担い手であり続けます。

現在キュ―バ人の70%は革命勝利後の産まれですが、次のことが言えると思います。即ち当国では幾つもの世代の人々が共に暮らしていますが、各世代は、生きる時代に応じて、それぞれ固有の歴史と価値感を持っています。抑圧に抵抗した先住民や奴隷の時代より今日まで、無数の愛国者や革命家が命を捧げて来た革命と社会主義の旗を高く掲げ続ける準備と能力を後継者が持っていることを知ることを、心穏やかに信頼して、古い世代は後継者にその座を譲って行くでしょう。

既にご報告した通り、政府の主要ポストの新世代への継承は漸次、整然と進行しつつあります。フィデルが言ったように、継承を成功裏に進めるには、それが持つ戦略的重要性を軽視してはなりません。何よりも、何よりもすべての崇高なキュ―バ人民の団結を維持しなければなりません。

―喝采

 

同志の皆さん、今こそ救世主的勲功に満ちた幾世紀に闘いに倒れた人々とキューバ革命の最高司令官たるフィデルへの賛辞を捧げる時です。その動揺することのない楽天主義で、人民に寄り添い、如何なる犠牲も耐え忍ぶ能力を備え、この叙事詩の真の主人公であったフィデルは我々を勝利に導き、世界地図の中に我々の小さな島国を、社会正義と人間の尊厳性尊重の拠り所として位置付けました。そして

キューバ女性にも栄誉を捧げましょう。

―喝采

 

キューバ女性は母であり、犠牲と、歓喜と闘いを共にする同志でもあります。新しい世代は永遠に革命の理想を防衛し続けてくれるでしょう。

s.

15年前より、不当にも合衆国に拘禁されている勇敢なる反テロリスト戦士達にこの歴史的場所より親密なる抱擁を送ります。彼らの帰還の為に我々は休むことなく闘い続けます。また、姉妹国ベネズエラのボリバル主義革命の常勝司令官、親愛なるウ―ゴ・チャベス同志への心からの賛辞も決して怠ってはなりません。

―喝采

ラテンアメリカ及びカリブ地域独立の英雄の卓越した教え子.

祖国に殉じた者たちに永遠の栄光を!

―栄光を!

社会主義革命万歳!

―万歳!

自由キューバ万歳!

―万歳!

フィデル万歳!

¡Viva!

万歳

勝利まで...!

―永遠に!



翻訳:千野満 





Santiago de Cuba, Cuba

Viernes, 26 de julio de 2013

Conmemoración del 60anno aniversario del asalto a los cuarteles Moncada y Carlos Manuel de Céspedes

Nicolás Maduro

Presidente de la República Bolivariana de Venezuela

Raúl Castro Ruz

Presidente de la República de Cuba

José Mujica

Presidente de la República Oriental del Uruguay

Evo Morales

Presidente del Estado Plurinacional de Bolivia

Daniel Ortega

Presidente de la República de Nicaragua

Ricardo Patiño

Canciller de la República del Ecuador

Roosevelt Skerrit

Primer ministro de la Mancomunidad de Dominica

Winston Baldwin Spencer

Primer ministro de Antigua y Barbuda

Ralph Gonsalves

Primer ministro de San Vicente y las Granadinas

“Kenny” Anthony

Primer ministro de Santa Lucía

(Interpretación del himno nacional de la República de Cuba)

(Interpretación de la canción Santiago cuna y pan)

Presentador: Compatriotas es 26 de julio, fecha histórica de la patria, orgullo de nuestro pueblo, evocación y compromiso eterno por los heroicos combatientes que aquella madrugada de 1953, hace hoy 60 años asaltaban los cuarteles Moncada y Carlos Manuel de Céspedes, jóvenes del Centenario que convirtieron a Martí en inspiración y guía, jóvenes que no permitieron que murieran las ideas del maestro al precio de sus propias vidas, jóvenes al frente de los cuales ha marchado siempre el comandante en jefe Fidel Castro Ruz. Presente en este día de la rebeldía nacional como hace 6 décadas.

El general de ejércitos Raúl Castro Ruz, primer secretario del Comité Central del Partido y Presidente de los Consejos de Estado y de Ministros, acompañado por una representación de moncadistas y expedicionarios del Granma. Junto a otros dirigentes de la Revolución Cubana, invitados especiales a esta histórica conmemoración, el presidente de la República Oriental del Uruguay, José Mujica Cordano, de visita oficial en nuestro país.

Y los presidentes de los pueblos hermanos del ALBA, con las delegaciones que presiden quienes nos honran con su presencia en la mañana de hoy, entre nosotros Nicolás Maduro Moros, Presidente de la República Bolivariana de Venezuela.

Evo Morales Ayma, presidente del Estado Plurinacional de Bolivia; Daniel Ortega Saavedra, presidente de República de Nicaragua;Roosevelt Skerrit, primer ministro y ministro de Relaciones Exteriores de la Mancomunidad de Dominica; Winston Baldwin Spencer,primer ministro y ministro de Relaciones Exteriores de Antigua y Barbuda; Ricardo Patiño, ministro de Relaciones Exteriores de la República del Ecuador; Ralph Gonsalves, primer ministro de San Vicente y las Granadinas; y “Kenny” Anthony, primer ministro de Santa Lucia.

Presentes 10 mil santiagueros en representación de todo el pueblo de Cuba, esta es Santiago.

Al inicio escuchábamos al solista José Girón y la Banda Provincial de Conciertos, que interpretaron la canción Santiago cuna y pan, de Pedro Luis Ferrer y Francisco Ferrer, con arreglo musical de Ernesto Burgos.

Y en este acto de hermandad y solidaridad latinoamericana las palabras del presidente Nicolás Maduro Moros, representante del pueblo amigo y hermano de Bolívar y Chávez.

Aplausos.

Nicolás Maduro: Compañero Raúl Castro Ruz, presidente de Cuba; querido compañero “Pepe”, presidente de la República Oriental del Uruguay; compañero Evo, de nuestra hermana Bolivia; compañero presidente comandante Daniel Ortega, de nuestra hermana Nicaragua; compañeros primeros ministros Roosevelt Skerrit, de Dominica; Baldwin Spencer, de Antigua y Barbuda; querido compañero primer ministro de San Vicente y las Granadinas; compañero canciller de la República del Ecuador.

Aquí estamos en un día verdaderamente de historia, en el amanecer de Santiago hoy recordamos que es un día de la generación del Centenario, hoy es el día de Martí, hoy es el día de Fidel, hoy es el día de la rebeldía de Santiago de Cuba, de Cuba y de América toda.

Aplausos.

Un día de rebeldía quijotesca, como dijera nuestro amado y eterno recordado comandante supremo Hugo Chávez Frías.

Aplausos.

Que en estas calles de Santiago años atrás abrazara y recogiera el amor infinito del pueblo cubano, hacia él como extraordinario ser humano y conductor de pueblos y hacia nuestro pueblo.

El asalto al Cuartel Moncada sin lugar a dudas fue la respuesta histórica en el siglo XX de una juventud que se atrevió a ser, que se atrevió a señalar un camino, una juventud que pudo tener la capacidad para recoger los sueños del apóstol, para recoger las esperanzas y las búsquedas postergadas y frustradas de varias generaciones; 50 años antes el ejército de patriotas mambises no pudo entrar a Santiago, lo impidió el mundo que empezaba a despuntar en el inicio del siglo XX, las garras imperiales de los Estados Unidos cayeron como habían previsto 100 años antes John Quincy Adams y James Monroe en la teoría de la profecía de la “fruta madura”, para controlar la isla de Cuba como una especie de maleficio autocumplido. 50 años antes se había frustrado una generación entera que había dado su vida por la independencia y por la libertad de Cuba.

Así que cuando empezaron a sonar los fusiles y cuando Santiago de Cuba amaneció oliendo a pólvora, ese día los mambises estaban combatiendo aquí en los patios de este cuartel histórico del Moncada.

Aplausos.

La generación del Centenario (Fidel, Raúl, Abel) tomaron las banderas del apóstol, tomaron las banderas de Martí, que es como decir tomar las banderas de Bolívar. Si hubo alguien en el siglo nuestroamericano, en el siglo XIX nuestroamericano que comprendió la esencia profunda del proyecto que reivindicó en su prosa poética el proyecto del Libertador Simón Bolívar, fue José Martí que entendió en profundidad el gran proyecto de independencia y unión nuestramericana y que se atrevió a venir para impedir con la independencia de Cuba que las garras del imperio en el siglo XIX, ya casi finalizado de su época, cayeran sobre nuestra América dividida de entonces.

Así que venir acá, nosotros venimos una delegación de civiles y militares, aquí se encuentran conmigo los jefes militares de la Fuerza Armada Nacional Bolivariana, los hijos de Chávez, la almirante en jefe Carmen Meléndez, primera ministra de la Defensa mujer de nuestra patria.

Aplausos.

El general en jefe Padrino López, el comandante general de la Aviación, de nuestra Aviación Militar Bolivariana; y una amplia delegación del Polo Patriótico que construyó nuestro comandante Chávez, y estando nosotros aquí está Chávez con su amor, el amor infinito hacia Cuba, hacia Fidel, hacia la historia grande de nuestro país.

Aplausos.

Así que Santiago de Cuba, Cuba, las banderas de rebeldía del Moncada tienen vigencia absoluta, apenas se están cumpliendo 60 años y qué privilegio, 60 años después que todos nosotros, América Latina entera tengamos ese faro de luz llamado Fidel allí todavía dando, entregando su sabiduría a esta América que ha sabido unirse.

Aplausos.

Cuántas cosas han pasado en 60 años, vino el Granma, vino la Sierra Maestra sagrada, donde bajaron los ángeles barbudos, vino la lucha de 50 años, 54 años de este pueblo cubano, para enfrentar bloqueos. Qué dignidad le entregaron ustedes a la América Latina, ustedes pueblo de Cuba son responsables de que hoy América Latina esté de pie, de que hoy tengamos el ALBA, de que hoy tengamos la Celac, de que hoy tengamos la Unasur, pero sobre todo que hoy tengamos la esperanza de que ha valido la pena la lucha, 60 años apenas del Moncada, pero apenas el Moncada empieza. ¡Que viva Fidel! ¡Que viva Abel!

¡Que viva!

¡Que viva Raúl!

¡Que viva!

¡Que viva Cuba!

¡Que viva!

¡Que viva Martí!

¡Que viva!

¡Que viva Bolívar!

¡Que viva!

¡Que viva Chávez!

¡Que viva!

¡Que viva América Latina!

¡Que viva!

¡Hasta la victoria siempre!

Aplausos.

Presentador: El presidente José “Pepe” Mujica Cordano.

Aplausos.

José “Pepe” Mujica: Compañeros todos de la Patria Grande, permítanme, porque el alma de un veterano está llena de recuerdos, han pasado muchas décadas, han sido décadas de lucha por la dignidad del pueblo cubano y con su suerte, la de muchos luchadores, alguno de los cuales ni los nombres recordamos, que quedaron en los socavones, en los dolores de América, en las selvas y sus montañas, porque los cambios sociales no tienen un laboratorio donde se pueda experimentar en frío, los cambios sociales son de experimentación directa en la lucha con los pueblos y los hombres y las mujeres caminamos intentando encontrar caminos y recreando y aprendiendo de nosotros mismos el camino del dolor de los fracasos, de volverse a levantar, de mil veces empezar de nuevo, porque sencillamente los cambios sociales no están a la vuelta de la esquina, no están al alcance de la mano en lo inmediato, son una larga construcción colectiva de esfuerzo, de trabajo, de errores, de aciertos, de compromisos, de sacrificios; siempre ha sido así, lo imposible parece que cuesta un poco más.

Por eso en el fondo no hay derrota, solo sufren la derrota aquellos que dejan de luchar.

Aplausos.

Entonces esta revolución que fundamentalmente ha sido la revolución de la dignidad, de la autoestima para los latinoamericanos, nos sembró de sueños, nos llenamos de Quijotes, seguramente que soñamos que en 15 o 20 años era posible crear una sociedad totalmente distinta y chocamos con la historia, los cambios materiales son más fáciles que los cambios culturales. Los cambios culturales son en definitiva el verdadero cemento de la historia y son una siembra muy lenta de generación en generación cubana.

Los antepasados nos han enseñado el valor que tienen la vergüenza y la dignidad, el ser nosotros, estamos asomando a una civilización mundial, digital, colectivizada, de dimensiones inconmensurables y hemos aprendido una cosa que la estamos viviendo en nuestra América Latina, sólo es posible el mundo si respeta lo diverso, sólo es posible el mundo y el porvenir si nos acostumbramos a entender que el mundo es diversidad y es respeto, dignidad y tolerancia y que nadie tiene el derecho, por ser grande y fuerte, a aplastar a los pequeños y a los débiles.

Aplausos.

Lección de oro de estos 60 años de revolución, el mundo rico tendrá que entender que por su propia tranquilidad, porque la vida humana es corta, demasiado corta y no hay derecho a sacrificar la vida humana de los que están vivos, porque estar vivo es casi un milagro y hay que respetar la vida.

Aplausos.

Y entonces nos juntamos como en este templo donde seguramente los muchachos que atacaban soñaban, era más sencillo y más fácil, seguramente si en el mundo no hubiera habido soñadores, todavía andaríamos con un taparrabo caminando por la selva. Solamente el mundo cambia y se mueve porque hay gente comprometida y capaz de soñar.

Aplausos.

Con los sueños de aquellos cubanos oleadas de juventud nos movimos por toda nuestra América. Hoy somos viejos, arrugados, canosos, llenos de reumatismo y llenos de nostalgia y de recuerdos y nos reímos de nosotros mismos, las chambonadas que hemos cometido, pero chambonadas sin precio, por una causa, por el sueño de una humanidad, por igualdad básica, con garantías básicas, con sueños básicos, porque estamos convencidos de que el hombre tiene capacidad para construir un mundo mejor, tiene los recursos de poder construir un mundo mejor y defender la vida.

La revolución hoy, la palabra revolución adquiere una dimensión de carácter universal cuando el mundo se globaliza y es precisamente la idea de que es posible y es una necesidad histórica para mantener y sostener la vida, luchar por crear un mundo mejor, de respeto, de igualdad básica, de no temer que lo aplasten, sin portaaviones, sin aviones que tienen un brazo largo casi sin gente de un mundo, es posible que el hombre salga de la prehistoria y saldrá de la prehistoria el día que los cuarteles sean escuelas y universidades. Gracias.

Aplausos.

Gracias pueblo santiagueño.Gracias por lo mucho que nos dieron, por lo mucho que nos dejaron, y sobre todo por la dignidad con que suscribieron el derecho a autodeterminarse que tiene un pueblo, más allá de sus dimensiones. Gracias.

Aplausos.

Presentador: En este acto y representando al querido pueblo boliviano, el presidente del Estado Plurinacional de Bolivia, Evo Morales Ayma.

Aplausos.

Evo Morales: Muchas gracias hermano comandante presidente Raúl, hermanos presidentes, comandantes presentes, cancilleres, primeros ministros, a todo el pueblo cubano. Estar en Cuba siempre es una fuente de inspiración, de lucha permanente contra el capitalismo y contra el imperialismo, estar presente acá siempre nos da una fuerza de dignidad y soberanía por nuestros pueblos de América y del mundo, y en este día de 60 años de inicio de una lucha por la liberación de nuestros pueblos, siento que ese día nace la luz de esperanza y de confianza a hombres que dieron toda su vida por la liberación de América y del mundo. Nuestro respeto, nuestra admiración al hermano Fidel, comandante histórico, inolvidable, no solamente de la Revolución de Cuba sino de pueblos de América y del mundo.

Aplausos.

Hermanas y hermanos de Cuba, sigo convencido, primero Fidel, un hombre que dio su vida, sus principios por los pueblos del mundo. Yo decía en un momento Fidel y Chávez son comandantes, esas fuerzas libertarias de América y del mundo.

Aplausos.

Y por eso reciben en este día el mejor homenaje a Fidel, al pueblo cubano, siendo... será antiimperialista, convencido que el imperialismo, que el capitalismo no es ninguna asunción. Me he convencido, gracias a nuestros comandantes, comandantes actuales, y la lucha del pueblo cubano, que no estaba equivocado, la Revolución de Cuba es la madre de las revoluciones antiimperialistas en América y en el mundo. Fidel y tantos hombres son los padres de la Revolución antiimperialista en Cuba y en el mundo.

Aplausos.

Por eso hermanas y hermanos si brevemente reflexionamos ¿qué está pasando con países capitalistas e imperialistas? Que esos países antes que tanto nos robaban, nos saqueaban nuestros recursos económicos, ahora que no nos saquean, en crisis, basta darnos cuenta, por eso venimos acá invitados, convocados por nuestro comandante Raúl, a rendir nuestro homenaje a un pueblo cubano, bloqueado en lo económico, pero digno y humano, que es el pueblo cubano.

Aplausos.

Un pueblo digno pese al bloqueo. Siempre una luz de esperanza para los pueblos del mundo y para las nuevas generaciones. De verdad hermanos de Cuba, he visto y he vivido la solidaridad del pueblo cubano y aprendí algo importante de Fidel, me decía un día:: “Evo, hay que compartir lo poco que tenemos, no las sobras…”. Esa es la verdadera solidaridad y esa es Cuba.

Aplausos.

A la cabeza de Fidel, Cuba ejemplo de solidaridad con todos los pueblos del mundo.Y especialmente con la vida.¿Quién puede desconocer eso?, ¿quién puede olvidar esa solidaridad? Una vez el 2005 estuve acá con temas de salud y casualmente o tal vez preparado, no sabía, había una reunión entre Fidel y Hugo Chávez, me sacaron para un acto, yo invitado entre dos comandantes, dos presidentes y Fidel le decía al hermano Hugo Chávez, con la misión Milagro, podemos operar 100 mil latinoamericanos, hay que trabajar por la vista porque la vista es la vida misma, gratuitamente operar 100 mil latinoamericanos.

En ese momento yo decía: “Comandante Fidel, presidente ¿qué está hablando? Operar gratuitamente 100 mil latinoamericanos. Escuchen, miren hermanas y hermanos de Cuba, sólo en Bolivia se han operado 700 mil bolivianas y bolivianos.

Aplausos.

No solamente 100 mil en la América Latina. Si boletizamos eso, ¿cuánta plata será?

Esa es la verdadera solidaridad. Por eso hermanas y hermanos de Cuba en este día, 60 años del Cuartel Moncada, sólo decirles mi respeto, mi admiración. No sé de verdad cómo responder a esta solidaridad del pueblo cubano, que sin ningún miedo, aunque me protesten algunos hermanos en Bolivia, los primeros años de mi gestión, del trabajo como presidente, como gobierno de esta Revolución democrática cultural en Bolivia, si no hubieran sido Fidel y Chávez ¿quién sabe?, hubiéramos tenido en realidad, Chávez, Fidel me consolidó y consolidó la revolución democrática cultural de Bolivia, a la cabeza de los pueblos indígenas, fuerzas sociales.

Aplausos.

El pueblo cubano, el pueblo venezolano debe saber eso, solidaridad por la vida, solidaridad en la política. Y algo quiero contarles, una vez Fidel terminó un acto, bueno empezó a las seis de la tarde, más o menos acabó a las doce, una de la mañana.

Risas.

Algunos hermanos que estaban presentes dormían, se despertaban; otra vez dormían y seguían despiertos, pero siguen sentados, nunca abandonaban. Acabó el acto me dijo Fidel: “Evo, vamos a comer, a cenar…”, y era la una de la mañana. Hablamos y hablamos. Mi viaje, mi retorno era a las siete de la mañana, y alguien dijo: “Evo tiene que retornar, tiene que viajar…”. Creo que a las cinco, cinco y media de la mañana abandoné la oficina del hermano Fidel. Pero ahí yo preguntaba, yo le decía: “Si un día —todavía no estaba de presidente— si un día ganaría las elecciones ¿cómo podríamos, cómo podría enfrentar tales bloqueos, sabotajes del gobierno de Estados Unidos?”. Y saben qué me dijo Fidel: “Evo, no estás solo. Estamos nosotros, los cubanos, los venezolanos, Lula en Brasil, Néstor Kirchner en Argentina...”.

Aplausos.

“Además de eso, nosotros, una isla bloqueados. Ustedes tienen países vecinos, y lo más importante nosotros no tenemos muchos recursos naturales, ustedes tienen petróleo, gas, minerales. ¿Cómo puedes tener miedo al bloqueo de Estados Unidos?...”. Imagínense ese mensaje y que de verdad si aprovechamos muy bien como Estado, como pueblos, nuestros recursos naturales, ahí está también la esperanza para los pueblos del mundo.

Escuchando esas palabras de Fidel ya no tenía ningún miedo seguir avanzando la lucha contra el capitalismo, contra el imperialismo.

Aplausos.

Y de verdad no estuvimos solos. Hermanas y hermanos, de 60 años, nuevamente a nombre del pueblo boliviano nuestros respetos, nuestra admiración con esta clase de actos, con seguridad seguiremos trabajando por nuestros pueblos, como justo reconocimiento a nuestros libertadores de antes y de hoy.

Hermanas y hermanos muchísimas gracias por la invitación del hermano comandante Raúl. Para terminar déjenme decir: ¡Que viva Fidel!

¡Viva! Aplausos.

¡Que viva Raúl!

¡Viva! Aplausos.

¡Que viva la Revolución Cubana!

¡Viva! Aplausos.

¡Y vivan los pueblos antiimperialistas del mundo!

¡Viva! Aplausos.

Presentador: Desde Nicaragua y en representación del pueblo de Sandino, el saludo de su presidente Daniel Ortega Saavedra.

Aplausos.

Daniel Ortega: En la madrugada cuando llegábamos al aeropuerto de Santiago me preguntaban los periodistas sobre el Moncada, yo les respondía que entonces yo andaba por los 7 años de edad, el Moncada fue en julio y yo cumplía años en noviembre, en noviembre estaría cumpliendo 8 años, en el año 1953. Y cómo conocí el Moncada, por mi padre. Mi padre que estaba comprometido con la lucha revolucionaria y que conversaba con los amigos ahí, todos los días estaban conspirando contra las tiranías de Somoza e identificándose con la lucha de los pueblos y lógicamente el Moncada fue una sacudida, y yo escuchaba.

Luego, en el año 1966, 67, en el IV Congreso Latinoamericano de Estudiantes, participé ahí en La Habana, y nos llevaron a un recorrido y no podía faltar el Moncada en ese recorrido y fue la primera vez que me encontré con ese testimonio vivo de la dignidad del pueblo cubano, de la dignidad de los pueblos de América, de la dignidad de los pueblos del mundo.

Aplausos.

Querido Fidel, querido Raúl, querido “Pepe”, Lucía Topolansky; Nicolás, hermano Nicolás, hijo de Chávez. Un obrero al frente de la Revolución Bolivariana.

Aplausos.

Querido hermano Evo Morales, líder indiscutible, representante de los pueblos originarios.

Hermano Skerrit, de Dominica; Baldwin Spencer, de Antigua y Barbuda; compañero hermano Ricardo Patiño, de la hermana República de Ecuador. Ricardo, combatiente sandinista allá en Nicaragua en la lucha contra la dictadura impuesta por el imperio.

Aplausos.

Ralph Gonsalves, primer ministro de San Vicente y las Granadinas. Y “Kenny” Anthony, de Santa Lucía.

Aplausos.

Queridos hermanos cubanos, querido pueblo de Cuba, desde Martí a Fidel, desde la Batalla de los Ríos hasta Fidel, levantando en el Moncada la bandera de Martí, batalla de las ideas entonces, batalla de las ideas hoy, desde el Moncada al Granma, del Granma a la Sierra Maestra, de la Sierra Maestra a la victoria, desde la victoria del 59 hasta estas nuevas batallas y estas nueva victorias en Girón, en la instalación del socialismo, en la defensa de las ideas frente al bloqueo imperialista, batallando siempre con el pueblo y por el pueblo, contra los más brutales actos de terrorismo como la voladura del avión con 73 atletas cubanos, víctimas de la saña y del odio del imperio yanqui contra un pueblo que hoy hace 60 años había decidido en el Moncada, con Fidel, con Raúl, con Abel, vivir en combate permanente por la libertad y la dignidad de su pueblo.

Aplausos.

Martí, Fidel, la Revolución encarnándose en el pueblo, en la educación, en la salud, en la producción, en el deporte, en la cultura, en la ciencia, en la tecnología, asumiendo los nuevos desafíos en la defensa de las conquistas básicas de la Revolución; a partir del período especial el pueblo todo movilizado en el rescate del niño Elián González y en la lucha para liberar a los héroes prisioneros del imperio.  

Aplausos.

Cuba, Fidel, Raúl, la Revolución Cubana, inspirando a los pueblos en nuestra América y en el mundo, encendiendo la llama inextinguible de la Revolución con su mística y su fe en todas las batallas y en todas las victorias. ¡Cuba!, estrella solidaria, irradiando esa inmensa fuerza moral en América Latina y el Caribe, en el África, en Asia. La batalla de las ideas librándose entonces como la lucha armada revolucionaria, la fuerza indoblegable de los pueblos expulsando la dominación colonialista, neocolonialista e imperialista. En todas esas luchas, en todos esos combates ha estado vivo el espíritu de la gesta heroica del Moncada, el espíritu y el ejemplo de Fidel, de Raúl y de este pueblo heroico.

Aplausos.

Y a finales del siglo XX e inicios de este siglo XXI la lucha de los pueblos alcanzando gloriosas victorias bajo nuevas modalidades, Fidel y Chávez, es decir el ALBA, Petrocaribe, la batalla definitiva por la unidad de los pueblos latinoamericanos y caribeños se ha iniciado, la comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños, la Celac, y la próxima cumbre se estará realizando aquí en Cuba, son los postulados de Bolívar, de Martí, de Morazán, de Sandino, haciendo realidad estos principios que cuando fueron proclamados y defendidos eran sueños y utopías.

Aplausos.

En este 60 aniversario del Moncada, Cuba sometida a las más brutales agresiones del imperio, es el mejor testimonio de que la libertad, la soberanía, la justicia, la independencia y el derecho a la paz de los pueblos sí pueden ser defendidos y sí pueden ser salvaguardados, cuando una revolución, sus ideas, sus principios son asumidos por todo un pueblo.

Aplausos.

Llegará el día en que el bloqueo será derrotado por un mundo multipolar, en el que el polo de la unidad latinoamericana y caribeña ya decidió romper ese bloqueo, y cuando la inmensa mayoría de los pueblos de nuestro planeta votan cada año en Naciones Unidas exigiendo el fin del bloqueo.

Desde la Nicaragua, que ha venido librando, a lo largo de su historia y desde el siglo antepasado, múltiples batallas contra el expansionismo yanqui, batallas en las que fueron derrotados y expulsados los invasores; desde la Nicaragua que ha enfrentado a sangre y fuego la ocupación de las tropas del ejército yanqui, que se han estrellado con la resistencia heroica de los patriotas populares y antiimperialistas; desde la Nicaragua que después de la gloriosa Revolución Cubana, 20 años después, en 1979 alcanzó la victoria revolucionaria con la solidaridad de Cuba y de Fidel; desde la Nicaragua que reconoce y agradece la geniosa solidaridad de Cuba, de Fidel, de Raúl, de su pueblo.

Aplausos.

Reciban, queridos hermanos, queridas hermanas, queridas familias cubanas, reciba la gloriosa Revolución cubana el abrazo fraterno y revolucionario de la Revolución Popular Sandinista y del pueblo nicaragüense, en este 60 aniversario del asalto a los cuarteles Moncada y Carlos Manuel de Céspedes.

¡Que vivan los héroes y mártires del Moncada!

¡Que vivan!

¡Que viva Martí!

¡Que viva!

¡Que viva Fidel!

¡Que viva!

¡Que viva Raúl!

¡Que viva!

¡Que viva el comandante heroico Ernesto Guevara!

¡Que viva!

¡Que viva Chávez!

¡Que viva!

¡Que viva la unidad latinoamericana y caribeña!

¡Que viva!

¡Hasta la victoria siempre!

Aplausos.

Presentador: Y ahora con ustedes el primer ministro de Dominica, hermano pueblo del Caribe.

Aplausos.

Roosevelt Skerrit:Muchas gracias.

Señor presidente Raúl Castro, señor presidente de Venezuela, Nicaragua, Paraguay, Bolivia, Primer ministro, Vicepresidente y todo el pueblo de Cuba, buenos días.

¡Buenos días! Aplausos.

Roosevelt Skerrit (vía traductor): Amigos míos me encuentro en el día de hoy aquí en absoluta solidaridad con el pueblo de Cuba, estoy también ante ustedes como representante de los jóvenes de la América Latina y el Caribe.

Aplausos.

En nombre de ellos le doy las gracias, gracias al pueblo cubano por haber garantizado el presente y el futuro de todas las generaciones. También me dirijo a ustedes para condenar a cualquiera que coloque a Cuba en alguna lista de países que mueven el terrorismo.

Nosotros, el pueblo de la América Latina y el Caribe, debemos condenar a cualquier país que coloque a Cuba en una lista de países promotores del terrorismo.

Aplausos.

Bueno, si enviar miles de médicos a cientos de países alrededor del mundo es considerado terrorismo, entonces Cuba es culpable.

Aplausos.

También les digo, si devolver la vista a los ciegos, a partir del programa Operación Milagro, entonces es la Cuba también, y si eso es terrorismo, entonces Cuba es culpable.

Aplausos.

También derramar sangre cubana, vender vidas cubanas para liberar Angola y Suráfrica, es también terrorismo, entonces Cuba también es culpable.

Aplausos.

Nosotros entonces tenemos que mostrar nuestra gratitud al pueblo cubano, pues, ya que el pueblo cubano ha derramado su sangre para liberarse y liberar a otros de diferentes tiranías, y por ello tenemos que mostrar nuestra gratitud a este pueblo. No podemos olvidar los sacrificios realizados por los héroes caídos, los sacrificios realizados por Fidel y por Raúl.

Aplausos.

Puesto que la propaganda en contra de la Revolución cubana no tiene precio, y por lo tanto tenemos que fortalecernos con ideas para defender a la revolución cubana.

Cuando uno analiza la economía cubana y los retos que este país enfrenta, y la ayuda brindada por Cuba a casi todos los países del mundo, creo que entonces debemos mostrar es nuestra gratitud al pueblo cubano, ustedes no tienen dinero y quienes tienen dinero lo utilizan para emprender guerra, lo único que tienen ustedes es a su propia gente, si ustedes comparten eso que tienen con todo el mundo de una manera que no tiene precedentes. Y por lo tanto los cubanos, así como todos nosotros, debemos continuar defendiendo la Revolución cubana.

Aplausos.

Quiero dar las gracias al presidente Raúl Castro por haberme invitado a esta celebración tan importante, también le pido que trasmita un cálido saludo al comandante Fidel Castro.

Y por último no podemos olvidar el aporte tan importante realizado por nuestro camarada, ya caído, Hugo Chávez.

Aplausos.

Debemos sumar todas nuestras manos y esfuerzos para continuar liberando a nuestros pueblos y para defender también los éxitos que esta revolución ha cultivado hasta el momento, puesto que dentro de 60 años vamos a seguir luchando, por lo tanto no hay nada que nos obligue a pensar que la batalla ha concluido. ¡Hasta la victoria siempre!

¡Venceremos!

Presentador: Seguidamente viene a hacer uso de la palabra el honorable Winston Baldwin Spencer, primer ministro de otra isla hermana del Caribe, Antigua y Barbuda.

Aplausos.

Winston Baldwin Spencer (vía traductor): Saludo a todos, en el espíritu de la Revolución cubana. Mucho me honra encontrarme aquí en Santiago para asistir a la celebración del sexagésimo aniversario del ataque al Cuartel Moncada.

Quiero aprovechar esta oportunidad para transmitir felicitaciones al gobierno y al pueblo de Cuba, por los esfuerzos que han hecho para preservar su historia, para educar también a la población cubana acerca de los acontecimientos que han definido a Cuba.

El movimiento 26 de julio fue una expresión de un grupo de personas que se percató de que esta era la única manera de que sus voces se escucharan, hace 60 años rebeldes cubanos lucharon por el principio de la igualdad, por el respeto a la ley y por el respeto a la dignidad de cada cubano.

Aplausos.

Hoy día el gobierno de Cuba mantiene firmemente esto principios. Es justo decir que muchos países del mundo se beneficiarían si pudieran imitar esos valores tan sólidos, los líderes grandes de la Revolución cubana son ejemplo de dignidad, se trata de un pueblo que hace 60 años luchó para sacar a un pueblo de una historia turbulenta de esclavismo y colonialismo. La influencia sociopolítica y cultural que ha ejercido Cuba con los países del Caribe es muy importante. Por lo tanto los esfuerzos desplegados por cientos de hombres el 26 de julio de 1953 allanaron el camino para lograr el desarrollo y la libertad del imperialismo.

Hoy día puede decirse que Cuba es una superpotencia en materia de salud pública y educación, estos son dos sectores que desempeñan un papel decisivo en el desarrollo nacional y Cuba también ofrece educación y salud universales y gratuita para toda su población, durante muchos años Cuba también ha ayudado a mi país Antigua y Barbuda en estos dos sectores de la salud y la educación y ha propiciado grandes beneficios para mi país, el pueblo de Antigua y Barbuda se siente muy agradecido, en nombre de ese pueblo quiero expresar mi reconocimiento al pueblo de Cuba por este gesto de generosidad en momentos de tantas dificultades.

Aplausos.

La capacidad que ha tenido el pueblo de Cuba para resistir un bloqueo injusto y duro durante muchos años, desde 1962 son muestras que el sentido de la autodeterminación y la unidad son muy importantes.

Por último quiero expresar mis votos a favor de que Cuba siga cosechando éxitos y que siga manteniendo a su influencia internacionalista en todo el mundo.

Aplausos.

Y por último quiero expresarles también de que el pueblo de Antigua y Barbuda seguirá apoyando al pueblo cubano. ¡Viva la Revolución cubana y sus líderes!

¡Que vivan!

¡Viva el espíritu de Hugo Chávez!

¡Que viva!

¡Que vivan los pueblos de la América Latina y el Caribe!. Gracias.

Aplausos.

Presentador: Y ahora el ministro de Relaciones Exteriores de la República del Ecuador, Ricardo Patiño.

—Aplausos.

Ricardo Patiño: Queridas y queridos compañeros y compañeras de la causa revolucionaria, querido comandante Raúl Castro Ruz, querido Fidel, queridos amigos Jefes de Gobierno de los países del ALBA y de la República Oriental del Uruguay, en nombre del pueblo ecuatoriano y de su presidente Rafael Correa Delgado reciban todas y todos un caluroso abrazo desde la mitad del mundo.

Aplausos.

Cómo expresar con palabras la emoción de estar aquí y de conmemorar, junto a sus protagonistas, una gesta histórica de tan alto significado para todos nosotros, esta querida Cuba, la tierra de Martí, de Fidel, de Raúl, de Camilo, del Che, de Abel Santamaría, de Frank País y Maceo y de muchos más, constituye una fuente de inspiración para el pensamiento y la praxis revolucionaria de todo el continente y del mundo entero.

Hoy 26 de julio del 2013 se cumplen 60 años desde que la teoría se puso en práctica, 6 décadas desde que un grupo de jóvenes, muy jóvenes visionarios cubanos decidieran asaltar el símbolo de la tiranía batistiana del Cuartel Moncada, en términos tácticos, como sabemos, aquel 26 de julio de 1953 significó un revés para el recientemente constituido movimiento revolucionario, pero la guerra por la liberación del pueblo cubano contra el yugo de aquel régimen apoyado por el imperialismo estadounidense recién había empezado, sólo unos pocos años después aquella chispa del Moncada se tornó, en apenas seis años, en un fuego liberador, en una lección de vida que nos enseñó a aquellas generaciones que venimos después a tener fe en nosotros mismos, a creer en la acción colectiva de los pueblos organizados.

Esta ceremonia muestra, y de manera contundente, que aquel asalto puso en marcha una marea revolucionaria imparable que desbordó Cuba para volcarse al Caribe, a Centroamérica y al Sur sobre el continente, se volcó generosamente hacia un pueblo que padeció durante siglos por la acción de distintos depredadores de la humanidad, la historia de América Latina puede entenderse mejor si establecemos un antes y un después del asalto al Cuartel Moncada y de su necesario correlato, la Revolución cubana y su triunfo en 1959.

Aplausos.

Cuántos de nosotros entramos a engrosar las filas del socialismo y de la revolución, y de la justicia social, con la lectura de La historia me absolverá, el asalto al Cuartel Moncada sembró la primera semilla del internacionalismo que después practicó y practica Cuba con el mundo. Siempre recordaremos con admiración y gratitud las misiones cubanas, que han ofrecido su mano amiga para la liberación mundial de los oprimidos, siguiendo el ejemplo del Che, símbolo ahora inmortal de la causa antiimperialista y solidaria.

En nombre del Ecuador gracias por su apoyo de siempre.

Aplausos.

Con el asalto al Cuartel Moncada se encendió una chispa en América Latina, una chispa que ya no se volverá a apagar, a pesar de las sangrientas dictaduras y posteriores recetas neoliberales que los pueblos de América tuvimos que soportar. Por el contrario, muchos fueron los movimientos sociales revolucionarios que imbuidos del espíritu de esta gesta y del definitivo triunfo de 1959 empezaron a emerger en cada rincón de nuestra América a través de una resistencia armada y organizada contra el terrorismo estatal que se implantaba, algunos de esos jóvenes combatientes aquí presentes, y más jóvenes ahora todavía dirigen los destinos de sus países desde las más altas funciones del Estado, Estado que ahora sí trabaja por el progreso, la justicia social y los intereses de las grandes mayorías. Aquí están los jefes de Estado que son hijos de la Revolución cubana, que son hijos del asalto al Cuartel Moncada, dirigiendo sus países como lo soñó el Che, Fidel y Hugo Chávez, ese hombre, ese extraordinario líder latinoamericano que no olvidaremos tampoco y no se podrá ir de nuestro corazón jamás.

Aplausos.

El triunfo de la Revolución del 59, nutrida de las gestas de Santiago marcó el inicio de un proceso de liberación nacional, pero sobre todo lanzó un mensaje a los pueblos oprimidos del continente, el mensaje de que los sueños de emancipación pueden hacerse realidad si realmente se lucha por ellos.

Compañeras y compañeros de Cuba, saben ustedes que desde el Ecuador y de toda la América Latina y caribeña seguimos y apoyamos sus luchas y sus sueños, ante la memoria de los héroes cubanos del Moncada y ante la presencia universal de Fidel condenamos el ilegal, inhumano y criminal bloqueo perpetrado por parte de la potencia más poderosa del mundo contra este pueblo hermano, querido.

Aplausos.

Si existe algún consenso a nivel mundial que se haya visto plasmado en las resoluciones de la Asamblea General de las Naciones Unidas, de las últimas décadas, con mayor contundencia ese es el consenso en torno a la condena contra el bloqueo. ¿Qué consecuencias ha tenido esta condena unánime? ¿Acaso los Estados Unidos han sido sancionados por la comunidad internacional ante semejante atropello? E0l día que eso ocurra será señal de que ha comenzado a imponerse la justicia a nivel global y en consecuencia la convivencia pacífica y respetuosa entre las naciones y los pueblos, como lo proclama la Carta Fundacional de las Naciones Unidas. Y qué cinismo, el gobierno campeón del terrorismo mundial acusa a este entrañable, generoso y solidario pueblo de Cuba —que sólo nos entrega salud, educación, deporte, cariño—, lo acusa de terrorista. El mayor terrorista del mundo, sin lugar a dudas, el campeón del terrorismo.

Aplausos.

Este bloqueo contra Cuba tendrá que terminar. Ahora a diferencia de antes actuamos en bloque, cuando países poderosos burlan el derecho internacional para amedrentarnos, así sucedió este 12 de julio en la Cumbre Presidencial de Mercosur en Montevideo, allí los estados resolvimos condenar el abusivo e ilegal espionaje practicado por el gobierno de los Estados Unidos en todo el mundo, así como condenamos el agravio cometido contra el presidente Evo Morales en su vuelo de regreso de Moscú a La Paz.

Aplausos.

Y quienes inicialmente se hacían los desentendidos han tenido que ofrecer las disculpas al compañero Presidente indígena suramericano Evo Morales.

Aplausos.

Lo hemos anunciado, y para esto la gesta del Moncada sirvió mucho, el patio trasero de los Estados Unidos ya no está más en Latinoamérica, si otros se ofrecen a serlo, allá ellos, para eso que no cuenten con nosotros.

Aplausos.

La Historia me absolverá, presagió Fidel cuando cayó preso bajo las garras del tirano. La historia no sólo que ya lo absolvió, sino que ahora le rinde merecido tributo a él y a todos su pueblo. Y el mundo le canta a Fidel: ¡Fidel, Fidel, qué tiene Fidel que los americanos no pueden con él!

Aplausos.

Pues tiene dignidad, tiene coraje, tiene grandeza, tiene liderazgo universal y está repleto de amor por su pueblo. ¡Viva la revolución cubana!

¡Viva!

¡Viva la revolución latinoamericana y caribeña!

¡Viva!

¡Patria o muerte!

¡Venceremos!

Presentador: Con ustedes ahora el primer ministro de San Vicente y las Granadinas, Ralph Gonsalves.

—Aplausos.

Ralph Gonsalves (vía traductor): Compañeros de Cuba, compañero presidente Raúl Castro, compañeros jefes de Estado y de Gobierno de los estados miembros del ALBA, compañero “Pepe”, del Uruguay y su bellísima esposa; compañero comandante en jefe Fidel, compañero Fidel hoy podemos decirle a usted que la historia lo ha absuelto, no sólo a usted sino también a los combatientes que asaltaron el Cuartel Moncada el 26 de julio de 1953.

Yo siempre me siento muy contento de venir a Santiago y de venir a las provincias orientales, mi abuelo era un machetero en la zafra azucarera que vivió aquí durante dos años durante el régimen de Machado y aun cuando amo muchísimo a La Habana, yo soy un palestino.

Risas y aplausos.

Yo sé también que Fidel es un palestino y Raúl también lo es (risa).

Risas y aplausos.

Nunca me sorprende la hipocresía del imperio, en 1953 el imperio respaldaba a la mafia norteamericana que era representada por Batista y se oponía a los revolucionarios cubanos, hoy día, 2013, el mismo imperio respalda a la mafia cubana en Miami y se opone a la revolución cubana aquí, una revolución que se libró por la libertad y la dignidad del hombre, la dignidad del hombre y también de la mujer.

Aplausos.

Una revolución que se basó en los principios de la igualdad y la justicia. Esta fue una revolución que tuvo entonces el rechazo del imperio y el imperio sigue rechazando a esta revolución que cumple estos principios que acabo de señalar, el imperio luchó al lado de los racistas de Sudáfrica y los revolucionarios cubanos lucharon al lado del Congreso Nacional Africano y al lado de Nelson Mandela.

Aplausos.

Fue la Revolución cubana, a través de sus luchadores, la que abrió la puerta de la cárcel en donde guardaba prisión Nelson Mandela, fueron Reagan, Margaret Thatcher quienes querían mantener la puerta de la cárcel que guardaba a Nelson Mandela cerrada. Decían ellos que Mandela era un terrorista y que la ANC era una organización terrorista, pero cuando el imperio mata en Vietnam, en Afganistán y en Iraq, entonces no dicen que eso es terrorismo y tienen entonces la cara de llamar a Cuba: país terrorista. El mundo lo están mirando ellos con los pies para arriba, de la manera que ellos lo ven, lo que es verdad es mentira, y lo que es mentira es verdad. En las Naciones Unidas solamente los Estados Unidos, Israel y las Islas Marshall respaldan el bloqueo contra Cuba y sin embargo el bloqueo se mantiene.

Roosevelt Skerrit tiene razón, debemos utilizar este foro para exigir la eliminación del bloqueo contra Cuba, así como la eliminación de Cuba de la lista de países que promueven el terrorismo.

Aplausos.

El mundo de hoy es un lugar muy complicado, a pesar del comportamiento del imperio todos somos seres humanos y tenernos que relacionarnos los unos con los otros, a través del diálogo, y así lo hacemos con dignidad y con el respeto absoluto a la dignidad. En los próximos tres días van a ocurrir más acontecimientos muy importantes en Santiago, el domingo, este domingo Venezuela conmemorará el natalicio de Hugo Chávez.

Aplausos.

Y el martes en Ecuador se celebrará una reunión cumbre de los jefes de Estado y Gobierno de los países miembros del ALBA, estos tres acontecimientos guardan una estrechísima relación, guardan relación con Raúl y con Fidel, con los combatientes del Moncada, con Mateo y con Martí, también guardan relación con Joseph Chatoyer, quien fue el luchador anticolonialista de San Vicente y las Granadinas.

Aplausos.

Y hay una idea para la cual ha llegado su momento y es el reclamo en estos momentos que estamos haciendo desde Caricom, esta decisión se tomó a principios de este mes en Puerto España, estamos exigiendo recompensa, estamos exigiendo indemnización a los países europeos por el genocidio de los nacionales nuestros y por la esclavitud.

Aplausos.

Sostendremos conversaciones con los europeos, o sea, no vamos a buscar el enfrentamiento, pero el espíritu nuestro será enmendar los errores cometidos en la historia, puesto que no puede haber una debida reconciliación si no hay una debida indemnización, puesto que la situación de subdesarrollo existente en América Latina y el Caribe es el resultado del legado del genocidio y de la esclavitud de los africanos. Y todo esto lo vamos a hacer con el espíritu y el ejemplo de los combatientes del Moncada.

Aplausos.

Los combatientes del Moncada y la Revolución cubana han hecho que Cuba y el mundo sean un mejor lugar, no es un lugar perfecto, el único lugar perfecto al cual se nos promete es que cuando vayamos allá, al cielo y nos encontremos con Jesucristo, pero aquí, en el planeta Tierra hacemos todo lo que está a nuestro alcance, de conformidad con determinados principios y esto es lo que han hecho los revolucionarios cubanos.

Aplausos.

Yo quiero que ustedes los cubanos conozcan que en todo el mundo a ustedes los miran con gran admiración. No permitan que el imperio les distorsione la mente con toda una gama de tonterías, atesoren lo que tienen, atesoren con lo que han trabajado, con la convicción de que marchan por el camino correcto para hacer la vida mejor para nuestros hijos y nuestros nietos.

Aplausos.

Que tengan un bellísimo día y que Dios los bendiga a todos. Gracias.

Aplausos.

Presentador: El primer ministro de Santa Lucía, “Kenny” Anthony.

—Aplausos.

“Kenny” Anthony (vía traductor): Comandante y presidente Raúl Castro, compañeros presidentes de Venezuela, Nicaragua, Bolivia y Uruguay, primeros ministros colegas de Antigua, Dominica y San Vicente y las Granadinas, ciudadanos de Santiago, pueblo de Cuba, mucho me honra que me hayan considerado amigo de Cuba y participar en esta ocasión especial.

Aplausos.

El ataque al Moncada representó una poderosa semilla, una semilla que con el tiempo germinó y produjo entonces la revolución más importante y trascendental de la humanidad en este siglo, a veces muy a menudo me pregunto qué ha propiciado de diferente la Revolución cubana para su pueblo y para el mundo, hoy día hablaré acerca de lo que Cuba ha hecho por el mundo y cuando les hablo de lo que ha hecho Cuba por el mundo tengo que también decirle a mi amigo Nicolás que el espíritu de Chávez está presente en todos nosotros en el día de hoy.

Aplausos.

Chávez nos ha ayudado a concluir un camino, un recorrido que Cuba fue la iniciadora, jamás lo olvidaremos. ¿Cuáles han sido los ejemplos que Cuba nos ha dado? Cuba nos enseñó a todos nosotros que no debíamos tener miedo y que teníamos que mostrar coraje; y Cuba también nos enseñó que el poder no importa sino que lo que importa son los principios y la disposición. ¿Cómo lo hacen ustedes? A pesar del embargo cruel e injusto a que Cuba ha sido sometida Cuba ha sobrevivido, Cuba está viva y Cuba está bien y no hay otro ejemplo mayor de coraje de un pueblo como el que ha mostrado Cuba ante este embargo, los países deben practicar lo que predica Cuba, siempre ha acompañado su discurso con sus hechos.

Hay países que predican la humanidad, hay países que predican la compasión y predican la preocupación por los marginados y los desposeídos y por los pobres, pero esas son solamente palabras, muy poco practican eso. Muy pocos practican lo que indican esos principios, el humanismo prevalece en las políticas cubanas como quiera que sean expresadas y es por ello que en el epílogo del terremoto que sacudió a Haití, Cuba fue a la ayuda de este país, que brindó cientos de médicos para ayudar al pueblo haitiano.

Aplausos.

Cuba entiende el sentido del sacrificio, como mis colegas Ralph Gonsalves y Skerrit lo han manifestado, que Cuba ha derramado la sangre de sus hijos e hijas por ir a respaldar a los luchadores revolucionarios del África. Pero hay un elemento que aún falta, en nuestros tiempos y en nuestras generaciones cuántos países del mundo han ido a respaldar y asistir a los negros donde quiera que ellos se encuentren y este es el elemento que falta puesto que Cuba fue ayudar a los negros de Angola y de Sudáfrica.

Aplausos.

Cuáles son los valores entonces que animan a este mundo, Cuba ha cambiado la calidad de la vida y ha propiciado la transformación de otros países y hoy día nosotros en el Caribe somos ejemplos vivos de ello, yo provengo de un pequeño país, un país cuya población es de 160 mil habitantes, unas 230 millas cuadradas, pero tenemos problemas monumentales. Y ahora cómo Cuba ha cambiado la calidad de vida de mi país. Mucho me enorgullece decirles aquí el día de hoy que mi país en estos momentos es autosuficiente en enfermeras y por lo tanto no tenemos que importar enfermeras de ningún lugar del mundo y si tengo que expresar alguna emoción al respecto lo hago con entera libertad, porque esto fue el resultado de una conversación que sostuve con Fidel.

Aplausos.

Y mi país es autosuficiente, no sólo en enfermeras, sino que también mi país es autosuficiente en ingenieros y en médicos. Y es así como se cambian los países, a los países hay que darles la fuerza, a los países uno los hace más fuertes para que los países puedan pararse por sus propios pies. Ningún país del mundo ha hecho por Santa Lucía lo que Cuba ha hecho, y estoy entonces, Raúl, eternamente agradecido de usted y del pueblo cubano.

Aplausos.

Cuba entiende su deber internacional, y es por ello que Cuba fue al África, porque Cuba consideraba que tenía una responsabilidad con los pueblos oprimidos y subyugados del mundo. Pero hay algo más profundo en la personalidad y el carácter del pueblo cubano, la revolución determina que se debe actuar con humanismo, pero Cuba comprende el valor de la amistad, los amigos no siempre están de acuerdo los unos con los otros, siempre habrá diferencias y por qué entonces la amistad que mantenemos con Cuba es tan diferente y tan importante para todos, y es porque Cuba comprende el sentido de esta palabra tan sencilla, Cuba respeta la opinión de sus amigos y Cuba siempre ha sido leal a este principio.

Amigos míos, la celebración de hoy día es una victoria de las ideas, la inspiración que nos dejó el Moncada jamás morirá y vivirá eternamente, si quieren mirar más allá de la frontera de su país todos los líderes del Caribe actual, todos esos dirigentes de este Caribe nuestro se sintieron inspirados por esta generación, nosotros somos los hijos de ustedes.

Aplausos.

Comandante Raúl, le pido que transmita un mensaje a Fidel, no voy a negarle compañero que lo extraño pero entiendo, lo único que le pido que transmita a Fidel es mi admiración y mi respeto, mi agradecimiento y mi afecto, que nunca morirá. ¡Viva Raúl!

¡Viva! Aplausos.

¡Viva Fidel!

¡Viva! Aplausos.

¡Viva Cuba! Gracias.

¡Viva! Aplausos.

(Actos culturales - Canción A Martí, interpretada por Eva Griñán)

Presentador: Los grupos musicales nos regalaron el segmento cultural que acabamos de disfrutar, muestra de que el arte y la cultura cubana seguirán siendo escudo y espada de la nación.

Para pronunciar las palabras centrales de este acto el general de ejércitos Raúl Castro Ruz, primer secretario del Comité Central del Partido y presidente de los consejos de Estado y de Ministros.  

Aplausos.

Raúl Castro Ruz: Queridos amigos y amigas, no se sorprendan que sobre este uniforme verde olivo y el grado de general de ejército, teniendo en cuenta que el mismo nació del ejército Mambí, me ponga un sombrero Mambí.Y unos espejuelos oscuros, aunque me gusta mirar con claridad a los ojos de mis interlocutores.

Aplausos.

Distinguidos invitados santiagueros y santiagueras, orientales. Hemos escuchado con profunda atención las palabras solidarias y generosas de los jefes de Estado y de Gobierno de la Alianza Bolivariana de los Pueblos de nuestra América y también del presidente del Uruguay, quien se encuentra en Cuba de visita, una vez más, José Mujica, que estuvo aquí por allá por el año 1960 cuando esta fortaleza fue convertida en escuela. Era un joven soñador igual que hoy, pero sin reumatismo.

Risas y aplausos.

Llegue asimismo nuestra gratitud a las destacadas personalidades de otros países que nos acompañan. Saludamos al propio tiempo a los integrantes de la XXIV Cuarta Caravana de la Amistad Estados Unidos-Cuba, organizada por la agrupación interreligiosa Pastores por la Paz.  

Aplausos.

Continuadores del esfuerzo solidario del inolvidable reverendo Lucius Walker.

En el trascendental alegato de autodefensa de Fidel, conocido... Me volé una hoja, retorno.

Risas.

La presencia de todos ellos en este acto que conmemoramos al 60 aniversario del asalto a los cuarteles Moncada y Carlos Manuel de Céspedes, constituye una manifestación fehaciente de apoyo y solidaridad con la Revolución cubana y demuestra cuánto ha cambiado nuestra América desde los días difíciles y oscuros del año 1953. Ya entonces nosotros, y sobre todo Fidel, habíamos leído las hazañas de Bolívar y otros próceres de la independencia americana, percibíamos la importancia de una región latinoamericana y caribeña independiente y unida. En el trascendental alegato de autodefensa de Fidel, conocido como La historia me absolverá, se anticipaba. La política cubana en América sería de estrecha solidaridad con los pueblos democráticos del continente y que los perseguidos políticos de la sangrienta tiranía que oprimen a las naciones hermanas encontrarían en la patria de Martí no persecución, hambre y traición sino asilo generoso, hermandad y pan. “Cuba debía ser baluarte de libertad y no eslabón vergonzoso de despotismo”, fin de la cita.

La muerte prematura de Martí en combate había frustrado en anhelo que expresó en su carta inconclusa al mexicano Manuel Mercado, de impedir a tiempo con la independencia de Cuba, que se extiendan por las Antillas los Estados Unidos y caigan con esa fuerza más sobre nuestra tierra de América. La Revolución cubana ha sido solidaria y fiel a ese legado. Aún en los momentos más difíciles, cuando se pretendió aislarla, rendirla por hambre, mediante un bloqueo criminal que ya dura más de medio siglo y destruirla con todo tipo de agresiones. Nunca olvidaremos que México, tras la prisión, nos dio albergue y después del triunfo fue el único gobierno de América Latina que se negó a dejarnos solos. Jamás nos ha faltado el respaldo y la solidaridad de los pueblos de todos los continentes, en particular los de esta región que siempre vieron a Cuba como parte indisoluble de nuestra América, que unida en su diversidad avanza con determinación a su segunda y definitiva independencia, 20 años después del triunfo del 1° de enero se produjo la victoria de la Revolución Sandinista, que Nicaragua llena de juventud celebró hace una semana con su comandante Daniel Ortega al frente.    

Aplausos.

Pasadas otras dos décadas, el entrañable hermano Hugo Chávez encarnó los ideales de Bolívar y multiplicado en su pueblo avanza hoy junto a su Revolución, conducida firmemente por el compañero presidente Nicolás Maduro.

Aplausos.

Marchan indetenibles los procesos de la revolución democrática y cultural de Bolivia, encabezada por Evo Morales y que es símbolo de la reivindicación de los pueblos originarios.

Aplausos.

La triunfante Revolución ciudadana que lidera con amplio apoyo popular en Ecuador el presidente Rafael Correa, representado hoy aquí por el canciller Ricardo Patiño.

Aplausos.

Los avances sociales como los del Uruguay, que conduce el compañero José Mujica, guerrillero tupamaro, encarcelado por 14 años.

Aplausos.

Los que se producen en el Caribe, que lucha por el desarrollo sostenible, la justicia y la igualdad soberana, cuyos destacados líderes, los primeros ministros Roosevelt Skerrit, de Dominica; Baldwin Spencer, de Antigua y Barbuda; Ralph Gonsalves, de San Vicente y las Granadinas; y “Kenny” Anthony, de Santa Lucía, están aquí hoy con nosotros.

Aplausos.

Pese a los intentos por dividirnos para seguirnos saqueando continúa su curso ascendente a la integración de nuestros países en el ALBA, Caricom, Mercosur, Unasur entre otros. La Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños (Celac), que Cuba se honra en presidir prosigue su consolidación,

Aprovecho esta ocasión en nombre de los cubanos y en particular de los damnificados por el huracán Sandy en la provincia de Guantánamo, Holguín y Santiago de Cuba, expresar el más profundo agradecimiento a todos los gobiernos y pueblos que generosamente nos apoyaron y apoyan en la labores de reconstrucción.

Aplausos.

Hace 9 meses dicho huracán penetró al territorio nacional por esta ciudad, la furia de los vientos alcanzó aproximadamente 200 kilómetros por hora y asaltó a las provincias de Santiago de Cuba, Holguín y Guantánamo por espacio de 5 horas, provocando la muerte de 11 ciudadanos.

Los efectos de este fenómeno meteorológico también se hicieron sentir en las provincias centrales con intensas lluvias e inundaciones. Las pérdidas económicas totales ascendieron, después de un riguroso estudio, a casi 7 mil millones de pesos, la mayor parte correspondió a las viviendas inmuebles aunque se produjeron considerables daños a la agricultura e infraestructuras vitales, como la electricidad, las comunicaciones y los viales. Considerando la trayectoria del citado huracán la provincia de Santiago de Cuba y en especial su capital sufrieron el mayor impacto afectándose al 50 por ciento de su fondo habitacional, colapsó el sistema de distribución de la energía eléctrica y el telefónico, los árboles derribados y todo tipo de obstáculos y todo tipo de escombro obstaculizaron durante días el tránsito en las calles de las segunda ciudad del país con medio millón de habitantes. En Holguín sufrieron en mayor medida los embates de Sandy, los municipios ubicados al Noreste de esa provincia coincidentemente los mismos que soportaron el azote del fuerte huracán Ike a su entrada a Cuba 4 años antes en septiembre del 2008, resultó dañado el 19, 3 por ciento de las viviendas y buena parte de los cultivos agrícolas y cañeros hasta el momento se ha dado solución al 52 por ciento de los hogares afectados. En los municipios al Oeste de la provincia de Guantánamo también se sintieron las consecuencias de este huracán aunque los perjuicios tuvieron menor envergadura y a estas alturas ya han sido recuperados.

Regresando a Santiago de Cuba con el concurso en primer lugar de los propios santiagueros y el apoyo decidido del resto del país incluyendo el aporte de los combatientes de las Fuerzas Armadas Revolucionarias y el Ministerio de Interior así como contingente de trabajadores eléctricos y telefónicos de todas las provincias en pocos días se restablecieron las condiciones mínimas para la vida, no se hizo esperar y fue de los primeros en llegar el mayor de los aportes a la situación de Santiago de cuba que fue enviada personalmente por el compañero Hugo Chávez.

Aplausos.

En los meses transcurridos desde entonces no se ha dejado de trabajar en las labores de recuperación y como resultado de ellos se ha solucionado el 42 por ciento de las viviendas afectadas, se encuentra hoy en ejecución un programa de construcción en toda la provincia que permitirá aliviar perspectivamente a la tensa situación existente en esta materia. Por otra parte el gobierno decidió bonificar el 50 por ciento del precio de los materiales de construcción destinados al restablecimiento de las viviendas dañadas otorgar con igual propósito créditos bancarios con menores tasas de interés y mayores plazos de pagos y en los casos de derrumbes totales asumir por el presupuesto del Estado el pago de los citados intereses así como subsidiar aquellos núcleos familiares de menores ingresos. Al propio tiempo se ha avanzado en la recuperación de las instalaciones del sistema de salud pública, de educación, cultura y transporte, igualmente se mantiene a la ejecución del proceso inversionista iniciado en el año 2004 para la rehabilitación y ampliación del acueducto de la capital provincial que ha permitido el abasto estable de agua con frecuencia diaria a 30 del os 32 sectores hidrométricos de la ciudad prestando garantizar el servicio diario a las zonas de Altamira y Litoral que hoy los reciben en días alternos.

Corresponde a las autoridades provinciales y empresas asegurar la sustentabilidad del sistema. Estas tareas que están siendo controladas sistemáticamente por el gobierno central no han culminado y a las santiagueras y santiagueros les ratificó que edificaremos en primer lugar con su participación directa una ciudad cada vez más bella, higiénica, ordenada y disciplinada a la altura.

Aplausos.

A la altura de su condición de ciudad, cuna de la revolución, además nadie se olvide de que Santiago…

¡Es Santiago!

Sigue siendo Santiago.

Aplausos.

Parecería un milagro que a 60 años de aquel 26 de julio estemos vivos todavía varios de los participantes en aquellos acontecimientos tras los cuales se desató la sed de venganza, la dictadura y fueron torturados y asesinados muchos de los combatientes capturados. También nosotros quisimos tomar el cielo por asalto, era un sueño, lo intentamos, no pudo ser pero exactamente 5 años, 5 meses y 5 días después el 1 de enero de 1959 estábamos entrando por esa entrada principal a exigir en nombre de Fidel el rendimiento incondicional de la guarnición de la ciudad que pasaban de 5 mil hombres.

Aplausos.

Después la firmeza y el decoro de Fidel que de acusado se convirtió en acusador en el juicio a que fuimos sometidos constituyó nuestra primera victoria, luego vino la prisión fecunda, el exilio en México, la recomposición de las Fuerzas Revolucionarias, los preparativos para la expedición del yate Granma, cuyo demorado arribo a costas cubanas impidió sincronización prevista con el heroico alzamiento de Santiago de Cuba organizado con el joven dirigente Frank País el 30 de noviembre de 1956, todavía no había cumplido 22 años, y al año siguiente sin haber cumplido los 23 fue vilmente asesinado por los esbirros de la dictadura.

Al revés Alegría de Pío, el reencuentro con Fidel dos semanas después en Cinco Palmas, la guerra de liberación, primero la Sierra Maestra y más tarde extendida a otras regiones montañosas, la decisiva victoria en 74 días de incesante e intenso batallar sobre la gran ofensiva de las tropas batistianas contra el territorio el primer frente de la Sierra Maestra donde se encontraba la comandancia general del ejército rebelde, hecho de enorme significación que como dijo el Che “le quebró a la tiranía el espinazo” y dio inicio a la contraofensiva estratégica del movimiento internacional. Ese fue un acontecimiento vital.

Batista, aprovechando el fracaso de la huelga de abril y el debilitamiento indudable que provisionalmente ocasionó a la Fuerza Revolucionaria reorganizó, concentró a la flor innata de sus fuerzas armadas y las lanzó contra la Sierra Maestra con sus mejores armamentos incluyendo las fragatas de la flota que abrían fuego desde el Sur en la vertiente Sur de dicha agrupación montañosa.

Fueron cerca de 100 combates, 4 operaciones, se combatió de día y de noche pero lo fabuloso es que Fidel recogió todas las demás guerrillas menos las nuestras del Segundo Frente que estaban muy alejadas y logro concentrar 200 fusiles, habían más guerrilleros, había una escuela de recluta e incluso desarmados que se iban al mando en la medida que se iban obteniendo pequeñas victorias, con 200 hombres se enfrentó a 10 mil de eso 10 mil directos sin contar las retaguardias que le daban aseguramiento etc., toda la aviación, todo el apoyo la artillería que podía actuar en la montaña, usó artillería de montaña y fueron derrotados en esos 74 días, por eso el Che con toda razón dijo que en esa ocasión “se quebró a la tiranía el espinazo”. Hubo que acudir a la Cruz Roja Internacional para que recogieran a cientos de prisioneros que fueron devueltos por Fidel, totalmente sanos, mejor comidos que nosotros y bien atendidos.

Comenzaba así en el verano de 1958. El viraje irreversible de la guerra que con las operaciones de las columnas invasoras salidas de la Sierra Maestra y las acciones de los combatientes clandestinos condujeron al colapso militar del régimen a la toma del poder por la Revolución triunfante y la constitución del primer gobierno revolucionario en la universidad de ésta ciudad con la huelga general que llamó Fidel desde Palma Soriano antes de entrar a Santiago, la clase obrera y todo el pueblo de les derroto al maniobra la de la embajada norteamericana para escamotear la victoria mientras Fidel avanzaba hacia La Habana, esa es una apretada síntesis de una intensa historia.

Expresaba entonces una etapa mucho más difícil que estremeció los cimientos de toda la sociedad, a 4 meses y medio del triunfo en la propia Sierra Maestra y en el puesto de manto que utilizó Fidel en los últimos meses a la guerra en cumplimiento del programa del Moncada se promulgó la primera Ley de Reforma Agraria que enfrentó a la revolución con los poderosos intereses económicos extranjeros y del a burguesía criolla que financiaron y estimularon por un espacio de varios años el accionar de bandas armadas, el asesinato de jóvenes alfarizadores, adolescentes muchos de ellos, el sabotaje y el terrorismo en todo el país de invasión por Playa Girón en abril de 1961 en vísperas de la cual se proclamó el carácter socialista de la revolución, la crisis de los misiles cuando ya los Estados Unidos estaban preparando una invasión directa con sus tropas a Cuba en octubre de 1962 y las incesantes agresiones y crímenes contra nuestro pueblo durante décadas.

Han pasado los años pero esta sigue siendo una Revolución de jóvenes.

Aplausos.

Como lo éramos el 26 de julio de 1953 los que combatieron y cayeron en las calles de Santiago de Cuba el 30 de noviembre de 1956, jóvenes fueron en su inmensa mayoría quienes participaron en la lucha contra las bandas armadas, durante 5 años, desde el 60 hasta enero del 65 aproximadamente, que en dos ocasiones durante ese tiempo llegaron a tener bandas activas de diferentes tamaños en todas las provincias del país, incluyendo al sur de la capital.

Jóvenes eran también los que derrotaron a los mercenarios en Playa Girón, los que sumaron incluso adolescentes a la campaña de alfabetización, la mayoría estudiantes, los que se incorporaron masivamente a las milicias, a las nacientes Fuerza Armadas Revolucionarias y al Ministerio del Interior, los cientos de miles de compatriotas que cumplieron misiones internacionalistas en otras tierras del mundo, el grueso de los mismos fue en Angola, como se refería uno de nuestros invitados, cerca de medio millón solamente por las Fuerzas Armadas Revolucionarias, participaron durante 15 años, durante todas esas acciones. De eso se puede hablar mucho todavía.

Los que hoy prestan servicio de salud y educación la mayoría también son jóvenes y la mayoría mujeres, la salud y la educación en diferentes naciones, los científicos, intelectuales, artistas y deportistas que tanta gloria han cosechado, lo que al llamado de la Patria cumplen su servicio militar, entre ellos las muchachas que por propia voluntad se suman a esta tarea, los estudiantes de la enseñanza media, nuestros universitarios que protagonizaron con éxito el último censo de población y vivienda, los obreros y campesinos que generan en la producción y los servicios ingresos a la economía, a nuestros maestros y profesores.

Esta seguirá siendo la revolución socialista de los humildes por los humildes y para los humildes, proclamado por el Fidel el 16 de abril de 1961, en el entierro de las víctimas de los bombardeos previos, a la invasión de Playa Girón, esta, repito, porque se ha demostrado en 60 años seguirá siendo una Revolución de los jóvenes.

Aplausos.

Hoy más del 70 por ciento de los cubanos nació después del triunfo de la revolución, podría decirse que convivimos en suelo patrio varias generaciones, cada una de ellas con historia y méritos propios, en correspondencia con el momento que les tocó vivir, la generación histórica va cediendo su lugar a los nuevos, con tranquilidad y serena confianza, basados en la preparación y capacidad demostrada de mantener en alto las banderas de la revolución y el socialismo, por las que entregaron sus vidas innumerables patriotas y revolucionarios, desde los indios y esclavos que se rebelaron contra la opresión hasta nuestros días.

Como ya se ha informado está en marcha el proceso de transferencia paulatina y ordenada a las nuevas generaciones, de las principales responsabilidades de dirección en la nación, para asegurar el éxito en este empeño jamás podrá descuidarse la importancia estrategia que tiene, como nos enseñó Fidel, preservar por encima de todo, repito, preservar por encima de todo la unidad de todos los cubanos dignos.

Aplausos.

Compañeras y compañeros, la ocasión es propicia para rendir merecido homenaje a los caídos a lo largo de siglos de gestas redentoras, también a Fidel el comandante en jefe de la Revolución cubana. Que con su inconmovible optimismo y junto al pueblo, capaz de resistir tantos sacrificios y verdadero protagonista de esta epopeya, nos guió a la victoria y situó en el mapa mundi a nuestra pequeña isla, como un baluarte de la justicia social y el respeto a la dignidad humana. Rindamos honor a la mujer cubana.

Aplausos.

Madre, combatiente, compañera de sacrificios, alegrías y luchas. A las nuevas generaciones que continuarán defendiendo por siempre los ideales revolucionarios.

Enviamos de este histórico lugar un abrazo fraternal a los valerosos luchadores antiterroristas, injustamente encarcelados hace 15 años en Estados Unidos, por cuyo regreso a la patria seguiremos batallando sin descanso. No puede faltar el más sentido homenaje al invicto comandante en jefe de la Revolución Bolivariana de la hermana Venezuela, al querido compañero Hugo Chávez Frías.

Aplausos.

Discípulo aventajado de los próceres de la independencia latinoamericana y caribeña. ¡Gloria eterna a los mártires de la patria!

¡Gloria!

¡Viva la Revolución socialista!

¡Viva!

¡Viva Cuba libre!

¡Viva!

¡Viva Fidel!

¡Viva!

¡Hasta la victoria…!

¡Siempre!

Asistente: ¡Viva Raúl!

¡Viva!

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