自分語り


出生と自己の存在に否定的だった私が、「感動」することを初めて覚えたのは、高校の現代国語の授業でだった。
教科書にあった、リルケの“カレーの市民”、
ロダンとの出会いである。



“カレーの市民”の授業は、私に美術開眼させた。
美術が人生を描くものであること、社会に訴える力を持つものであることを、リルケのロダン論から学んだ。
否、リルケから学んだというよりは、この授業から学んだのだ。


「何故、ロダンがこれを彫刻にしたのか?」
“カレーの市民”ひとり一人の人生と、
「何故、彼らが自ら絞首台へ向かったのか」
「その造形された“手”が、その時のその人の苦悩を、表情よりも語っている」
現代国語の教師は、丁寧に読み解いていった。


ロダンの彫刻の素晴らしさを、眼を輝かせて語る、静かだが情熱的な教師の言葉、その眼差しが、私の心に響いた。


今も忘れない、
「ロダンの“永遠の青春”と、“接吻”。
あの素晴らしさを、、。
君たちは、、まだ、あの像を直視できないかもしれないが、、」
と、少し躊躇しながらも、その素晴らしさに触れてほしいという教師の、遠くを見る眼差しに、私の胸は熱くなった。



東京国立西洋美術館でロダン没後50年記念“ロダン展”が開かれた。
“永遠の青春”の前に立ったとき、私の身体の中を雷が突き抜けたような衝撃を覚えた。
大らかに謳いあげる生命賛歌に、身体が震えて、動けなかった。


“接吻”を見上げながら、未知の世界への“夢”を見る思いがした。


そして、
“秘密”
ああ、まさしく“手”
すべてを語る、ロダンの造形する“手”が、そこにあった。


そして出会ったのが、以後、私を励まし続ける、ロダンのこの言葉、
”女性の美は、性格の中にあるのです
            情熱の中にあるのです”


この、「私の人生の師」都立志村高校の現代国語の教師、
間野典彦先生は、生涯、私の人間形成に影響を与え続けている。


☆写真は、幼い頃の娘と息子〜初めての旅、長野の湖にてボート上で。

自分語り 記事

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◆序章 緑の島
◆幼年時代
◆第2章 自我の芽生え