キューバ暮らし
2001年12月、私は夫となったアルベルトと一緒に、フランスを経由してキューバへ渡った。フランスへ旅行したのは、アルベルトが彼のパパの故郷を見たいというかねてからの希望を実現するためだった。
折も折、ちょうどその年、アルベルトの兄アレハンドロが、フランスのリヨンに長期出張していた。アレハンドロを訪ねながら私たちは、フランスの北から南まで、新婚旅行のような旅をした。
冬のパリは寒さも厳しく、それまで私は独り旅で何度か季節の良いフランスを歩いていたから、極寒のパリは嬉しくなかった。それでも、アルベルトには、彼にとって意味の或るフランスだった。
私は、南フランスのニースを見たかったので、フランス縦断の旅は興をそそるものだった。
このフランスの旅は、兄アレハンドロとの楽しさも増して、思い出深いものだが、旅の模様は別の機会に譲るとして、キューバに暮らし始めた私の、「キューバの中のキューバ」を綴ってみよう。
キューバは、観光で訪れるだけではわからない、独特のキューバがある。
暮らして初めて見えるキューバを、日本人の私から見たキューバを、語ってみたい。
ここで私は、ダイビングやスノーケリング、ヨットなどの海遊び、乗馬やダンスなどを愉しむ。友だちもいっぱい♪♪♪
ラテンアメリカの国、チリのビオレータ・パラの最高傑作。
♪人生よ、ありがとう♪♪
人生よ ありがとう たくさんのものをくれたわね
ふたつの瞳 まぶたをあければ
まちがえることなく 白も黒もはっきりわかるわ
天高く空の果ても見える
あふれかえる人波の中
わたしの愛するひとも みつけられるわ
人生よ ありがとう たくさんのものをくれたわね
笑みを そして、涙をくれた
こうして幸せと不幸せをみわけるのよ
私の歌をおりなす ふたいろの糸
みなおなじ歌を歌う みなさんの歌はわたしの歌
わたしひとりの歌は みなさんの歌
(安野由岐子・訳)

キューバの南、カリブ海に浮かぶ無人島リゾート、カイヨー・ラールゴ
イタリア人は裸で過ごす。あんまり海が綺麗だから、自然に還りたくなるのかもしれない。
海鳥だけが彼女らを見ている。
キューバ暮らし 記事
このページでは、キューバでの生活について紹介していきます。
◆2002年1月2日
◆2002年1月 フェリア
◆2002年1月 「ラテン」なのです、ここは!
◆2002年2月 尊厳を棄てないキューバ
◆わたしの誕生日
◆2003年6月12日のハバナ市民
◆アメ車もがんばるキューバ
◆タクシーとキューバ女性
◆お洒落なキューバ女性
◆キューバ人情とロシータ
◆ロシータの赤ちゃんは?
◆映画大好きキューバ人
◆土曜日は映画を
◆ダンスの国、キューバ・クラッシックバレー
◆私のスペイン語の先生、MATILDE マチルデ
◆言葉はラテンテコマイ!?
◆ダブル・ハネムーン
◆マチストはフェミニスト
◆ないものは調達、あるものを最大活用
◆キューバへの経済封鎖って?
◆なんで、このわたしが経済封鎖?
◆凄まじ!アメリカ帝王の世界支配の実態
◆ラテンの風邪はキツーイのだ
◆"アバナデレスケ(?)の病院"
◆彼・たちの造ったアパルタメント
◆"キューバに戻る〜40日ぶりの「緑の島」"
◆"キューバ事情?どこの都合?"
◆憧れの「ハバナ大学留学」の記
◆2日目、授業開始 夢のように楽しい「大学生」
◆ハバナ大学 夢の実現「わたしの"夢"」