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◆憧れの「ハバナ大学留学」の記

初めてキューバに来た2000年12月、
アルベルトは私とのデートにハバナ大学を案内しました。

それは、友人のヒセラに会うためだったのですが、大学の庭を歩いたとき、私の心はそこに留まってしまったようです。

さて1日目、ドキドキの「テスト」〜久方ぶりの胸の高鳴り。
クラスを決めるためのテストですから、これで入学を拒否されることはない、とはいうものの、前日から勉強再開。

しかし現実は正直、問題はなんとか理解できた?のですが、スペイン語の、あの厄介な動詞の活用形が出てきません。

なんたってスペイン語の動詞ときたら、キューバ女性のお尻のごとく、まったくよく動くのです。 「直説法」だけで30通りも変化、その他に「接続法」「命令法」なんてあったり、もちろん「過去形」も何通りも。

なんの脈絡もない言葉に変わってしまったり(どーして?)。
俄かに叩き込んだあれこれの動詞がいろいろ浮かんできて、一体どれを当てはめたらいいのかさっぱり。

結局思いつくまま適当に。文章問題はもうダメ、訊かれてることはなんとなく解ったのですが、答えられません。
(日本語ならいっぱい書けるんだけどなー)

イギリスでは、問題も読めなかったんだから、今回は勉強した方よ、なんて自分を慰めて。明日はどうなるのでしょうか。

続いて「説明会」〜とんでもない早口の説明会。
入った説明会場は、いろいろな国から来たらしい若者達のはしゃぎ声で隣の声も聞こえないくらいの騒音。一番前の席が一つ空いていたので、私はそこへ座りました。

先生らしい女性が何人か入ってきて、何か言っていますが全く聞こえません。
やっとみんなが注目すると、もう説明が始まっています。
擦れた声の太った女性が、ほとんど無表情でスペイン語で説明し、隣に立った女性が、重ねるように英語で説明、早口較べみたいで、聞き取るのに必死!教室はしーんと静まりかえっています。     

一通り終わって、先生方の紹介になりました。
廊下で待っていた先生達が入って来たとたん、
オラ!」と陽気な声がかかり、どっと沸きました。

(2003年9月26日)



今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪


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