キューバ暮らし > ダンスの国、キューバ・クラッシックバレー
◆ さすが!ダンスの国、キューバ・クラッシックバレー
「キューバのバレーは最高だよ」と、夫アルに誘われました。
ガルシア・ロルカ劇場と聞いて、わたしは飛びっきりのお洒落をして出かけました。
黒髪を結い上げ、金髪のヘアーピースをつけて、
布地が2枚重なったシースルーのドレス(この春迎えた、わたしの新しい娘と一緒に、ここで買ったイタリア製)に、パールのネックレス、イヤリング、とキューバ女性に負けない(?)いでたちで。
(出掛ける前は、それはもうアパルトのみんなは、
「マキコ、ボニート」「ベジャー!」と、
みんなの笑顔の方が素敵なくらい声をかけてきました)
開演40分前には、当日売り場にすでに列ができていましたが、チケットを買うことができました。
劇場は、パリのオペラ座のような、天井に絵を描いたドーム型で、舞台に向かって周りが円形の5階まで席のある、シャンデリアの下がったスペイン・バロック建築(1838)です。
見るも美しい女性たちが多く、私は内心、良かったお洒落してきて、と思いました。 なんてことはすぐ忘れてしまうほど、バレーは素晴らしいものでした。
バレー「ドン・キ・ホーテ」は、何より愉しく見せて、ドラマティックで華麗で、ちょっとコケティッシュ、ダンス技術は本当に「最高」と思わせました。
思わず声が出たり、手が痛くなるほど拍手拍手でした。
観客の喝采も惜しみない温かなもので、またそれに応えてプリマドンナたちの心通う挨拶。堪能した舞台でした。
ちなみにお値段ですが、聞いて驚く、1人3ペソ(¥15)。
一昨年日本で見たベジャール・バレー団(ベートーヴェン「第九」)は、確か¥20,000以上でした。
(2003年8月17日)
今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪
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