キューバ暮らし > ”キューバに戻る〜40日ぶりの「緑の島」”
◆”キューバに戻る〜40日ぶりの「緑の島」”
なにも変わっていないキューバ。
ふつうはこれが当たり前でしょう。
でも、私が里帰りした日本は、3ヶ月いない間にも激しい変動をしていました。
それは、良い方向に変わっているのではなく、明らかに悪い方向へ、国民のみんなが幸せを感じる方向ではないということが、誰の目にも見える状況でした。
重い気持ちを抱えて戻ってきたキューバ。
私を迎えてくれたのは、抜けるような青空と澄んだ海、生い茂った濃い緑に囲まれた、変わらぬキューバでした。
アラマルに着くと、ロシータ、オダーリ、マリアエレーナ、ブランカ、アリーナ、そしてヒセラとロベルトたちが、胸が熱くなるような笑顔で私の帰還を喜んでくれていました。
そう、すでにみんなは、私が今日アラマルに帰ってくることを知っていて、待っていてくれたのです。
家に入ると、真紅のバラが一輪コップに挿してテーブルに、黒板(唯の板切れですが)には、「WELCOME HOME BABY!」。カウントダウン時計が、ゼロ表示していました。きれいに片付き、お掃除が行き届いています。
私はさっそくバルコニーから海を眺めます。
「キューバに戻ってきた!」
そくそくと、なにかがこみ上げてくるようでした。
(2003年9月23日)
今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪
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