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◆わたしの誕生日
2003年1月

きのうの朝、日本からの電話の呼び出しに、隣のブランカおばあちゃんがドアを叩きました。ネグリジェのまま出てみると、おばあちゃんも寝間着姿です。

「マキコ、フェリシダ!(おめでとう!)」と、頬にキス。わたしの誕生日を知っていてくれたのです。

一日中、買い物に出ても、階段で出会っても、みんなが私を見つけると、「フェリシダ!」。
なかには家まで「フェリシダ」と言いに来てくれたり、カステラをプレゼントに持ってきてくれたり。

そして夕方、夫が大きなケーキを持って帰ってきました。
「ウワォ!このでっかいケーキを一度食べてみたかったんだ〜」

わたしは時々、街で、大きな四角いケーキを両手で捧げるように持って歩いている人を見かけていました。
小さなテーブルいっぱいの、ピンクのケーキには
「 Felicidades ! Makiko CUBA 2002 」と、踊っているように書かれています。

夜になると、アパルトメントの友人たちがやってきました。
ロベルト、ロシータと夫のジェジョ、ブランカと娘のアリーナと孫のホルヒート、マリアエレーナと娘のエナ。

わたしとケーキを囲んで「フェリシダ、マキコ、なんとかなんとか、フェリシダ、フェリシダ、フェリシダ!ワアー」(拍手)と、賑やかに歌ってくれました。
吹き消したローソクは、紫の大きいのが2本。

夫は「小さいローソクをたくさん立てるんだョ」と言いましたが、ンじゅっぽんも!、ね〜、いくらケーキが大きいといってもネェ。

ヒセラは「Universidad de La Habana-Cuba」と銘記されたシャープとボールペンのセットをプレゼントしてくれました。

いよいよスペイン語を勉強しなくっちゃ。

             2003年1月                                      




今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪


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