キューバ暮らし > 彼・たちの造ったアパルタメント


◆”彼・たちの造ったアパルタメント
住まいは政府が保障
だって「それは政府の仕事」だヨ”

キューバでは、「路上の人」(物乞いしているホームレス)をまったく見かけません。

「自由の国」と言われるフランスで、凍てつく寒さの中、アスファルトに座って、じっと下を向いている、子どもを抱えた母親。若い男性、女性もいました。

大抵は、こうならざるをえなかった「理由」や、
「食事のための少しのフランを」などと書いた紙を持っていました。

「ノー・プロブレム」のイギリスでも、地下鉄の通路などに、働き盛りのような男性や、子ども連れの母親が。

好きで4回も訪れた、イタリアでは、ジプシーと呼ばれる、放浪している人たちが「モニー、モニー」と、よく寄ってきました。

そして、見るのも辛い光景が、いま、私の国、日本でも増えています。

ここキューバでは、貧しそうな姿をした人達は結構います。

公園などで、何かを売りに(闇商売も多いらしいのですが)きたり、
通りすがりに、お婆さんが「珈琲を飲みたいんだけど、細かいお金がないのでね」
上手いこと言うな〜、とコインを差し出すと、悪びれずに笑顔を返してきたり。

でも、いわゆるホームレスはいないのです。
何らかの理由で住むところを無くした人には、仮住まいを政府は提供しています。
(アラマルでも、住宅地の一角に、専用の建物がある)

昨年秋、50年に一度と言われるほどの台風で、マタンサスなどで住宅が大量に破壊されましたが、その人達はすでに、住宅を建て直したそうです、政府の援助で。

ただ、まだまだ材料不足で、必要な数と広さが確保できない人は多いようです。

私たちが住んでいるアパルタメンテ(日本の公団のようなマンション)は、
アルベルトやヒセラ、みんなが「ミクロ」という建築集団に入って、自分達で造ったものです。

6年がかりで造ったとのことですが、
一番働きの良い人から順に、自分の欲しいところを手に入れることができたそうです。
それは、みんなの評価の下で、みんなで納得して決められたとのことです。

アルは、この建物の中で3番目に評価されたということで、
東南の角の2階、両面にバルコニーの付いた、約72u(3LDK)が、
「一人暮し」なのに確保できたということです。

おかげで、私は毎朝、バルコニーから海を眺め、
アルは、海を見て、お天気を予報します。

「波がたってる、冷線がくるよ、寒くなる」とか「きょうは午後から雨が降る」
「お皿の海だ、晴れて良い天気になるョ!」 

(2003年9月17日)



今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪


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