ご挨拶  (下段に写真集をつけました)

キュ-バに出会って、世界を見る目が広がりました
私の人生観にも、大きな影響を与えてくれています。

それは、
キューバという国、
キューバ人が創り出している社会が、
「人間に心地よい住環境」だからだと思います。

何よりも人間を、
ひとり一人の人間を、
本当の意味で、
大切にする社会を形成している、と感じています。

人間には、“尊厳”が、絶対条件だと思います。

人としての尊厳は、
生存の自由と、生存条件が満たされていることによって保たれるのではないでしょうか。

キューバの理念が、
人類の相互扶助・相互発展による“継続可能な世界”を目指し、
それぞれすべての民族(国)の、自主性と独立・尊厳を守ろうとしていることに、心からの共感を持つものです。

根底にあるのは、愛、
深い、“真実の愛”

だから、
キューバが大好き♪

■トップ写真は、私の大好きな、キューバの東部、サンチャゴ・デ・クーバの
リゾート・ホテル”ロス・コラーレス”のプライベート・ビーチです。
2011年のお正月には、私が泳いでいたすぐ先の沖合いに、ナント!鯨が出現しました。キューバ人もみんな、大騒ぎでした!


今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪
  

最新情報




★私のキューバ暮らし写真集 1♪
★私のキューバ写真集 2 ♪♪♪ 
★私のキューバ写真集 3 
♪♪♪


☆"変わりゆく今日のキューバとその魅力"
    希代統キューバ友好協会副理事長


★キューバ友好協会の機関紙に掲載された私の便り

「5人の英雄」の釈放のための国際集会〜15年!もうたくさん!                

ENCUENTRO INTERNACIONAL POR LA LIBERTAD DE LOS CIONCO !15 ANOS, BASTA!

9月11日から14日まで、ハバナで開かれた国際集会に日本キューバ友好協会代表として参加しました。33カ国、120余名の参加で、とても刺激的かつ愉しい4日間でした。“愛する人を待つ黄色のリボン”に因み黄色がシンボルカラーでしたので、私も黄色の洋服、黄色のスカーフ、黄色づくめで参加しました。

メイン会場になったのはキューバ最高級5★ホテル、“ホテル・ナショナル”です。米国がキューバを支配下においていた時、マフィアが建てた豪華なホテルです。ここに公式にお泊り出来るだけでも私にとっては魅力です。最初に出会ったのは、米国で闘っているシンディ・シーハン。イラク戦争で息子を亡くし、以来、ホワイトハウス前で、またブッシュ大統領(当時)の休暇先でも、直接大統領に訴える「米国の戦争反対」の闘いを独りで始めたあのシンディです。初対面の挨拶をして、一緒に写真を撮ろうとしたら、彼女があまりにも背が高いので、(「2メートルに少しだけ足りないの」って!)私に合わせて屈んでくれました。(※ホテルのロビーで4人の写真)。

その後、移動のバスでは隣に、食事も一緒に、と、来賓席に彼女が座る時以外はいつも一緒で、米国のジャーナリストやアイルランド人を紹介してくれて、みんなと友だちになりました。とは言え、私の英語が甚だ怪しいので、ジャーナリストのナディジェが、時々、スペイン語に通訳してくれたり、スペイン語の単語が分からないと英語にしてくれたりと、手間をかけながらのお喋りを楽しみました。

イベントは、11日、アントニオ・ゲレーロの絵画展示会“私は自分の生き様のように死ぬ”を観覧。ここで、米国主導の爆弾テロで殺されたイタリア人観光客だったファビオのパパと再会しました。ベダドにある、私のお気に入りイタリアンレストランのオーナーです。またここでは、昨年刑期を終えて解放されたレネ・ゴンザレスご夫妻がみえて、みんなに囲まれ記念写真を撮ったりしていました。(※レネご夫妻の写真)。

この日の晩餐会は、素晴らしいお部屋で、大勢のテキパキと働くキューバ人とモヒートに迎えられ、美味しいお魚料理コースを戴きました。まるで貴賓扱いです。5月に来日し、キューバ友好協会事務所で会ったラモン夫人エリザベスとも再会しました。彼女は「5人」の家族に私を紹介して、「私の友だち、アラマールに住んでるのよ、ミラマールじゃなくてね」と言ってみんなを笑わせ(ミラマールは外交官などが住む高級住宅地、アラマールはキューバ庶民の住宅地、名前は似ているけれどまったく違うので、私はこれを自己紹介に使っている)「キューバ人同士」というような雰囲気になりました。(※4人で食卓)。

 オープニングコンサートはカール・マルクス劇場。ラモンの娘ラウラの朗読で始まり、舞台いっぱい圧倒するギター・アンサンブル、美しいキューバ・フラメンコやルンバのダンス、人気アーチスト、シルビオ・ロドリゲスや二人のブランコ、プエルト・リコの闘う歌手、ダニー・リヴェラなど贅沢な出演でした。私の隣には、レバノンから7人で来ている映画クルーの方たちが居て、片言の会話。ほんの少し前「なんて素敵な紳士」と見かけた男性が、反対隣に座りました。彼はリカルド・アラルコンやアベル・プリエトとも親しいキューバ通の詩人で作家、米国生まれで今はモントリオールに住んでいるジェイムス・コッククロッフと自己紹介しました。

 12日は、ケニアICAP総裁の議長で一日ディスカッションでした。「5人の英雄」問題の法的最新情報、彼らの釈放のための連帯活動の情報交換などが行われました。アラルコンは、「知識人、アーチスト、スポーツ選手と外交官などに最新情報を伝えた、法的状況としては1年前と同じで、政府が隠している証拠を提出することを請求している、そしてジョアン・レナード裁判官の判決を待っているが、その情報がマイアミの裁判を左右している」と指摘し、この「5人」の事件担当の米国当局による倫理と合法性の強大な違反を批判しました。「暴力を使わないでテロを告発したにもかかわらず、“5人”はまるで犯人のように刑罰に処されたのだ」と訴えました。

米国で人権と平和のために闘っているシンディ・シーハンは、「米国人よ、自分の鼻の前で行われている不正に反対する闘いに立ち上がろう!」「米国人に真実を伝え、街頭に出て行動しよう!」と呼びかけ、「オバマは“5人”のために明日でも何かをすることが出来る」と強調しました。彼女は「5人」の家族に、イラク戦争で亡くなった息子の遺品を預け、「“5人”がキューバに還って来た時にこれを返してほしい、自分にとってのキューバは人生の大切なものがある場所だから」と語りました。ヘラルドの弁護士から、あの時米国政府がジャーナリストたちに金銭を配ったこと、これを告発したが無視されていることなどが報告されました。

11時過ぎ休憩に入り、マレコン通りを見下ろす海に面したホテルの庭に出ると、ジュースやサンドイッチ、お菓子などを手渡され、3月の「ハイパー・メディアの国際会議」でお世話になったアミスツールのスタッフの若者たちと再会、テーブルを共にしました。討論が再開され、「5人の英雄」問題の拡散のための活動提起がありました。ホワイトハウスへのメッセージ米国内宗教団体へのコンタクト、ツイッターやフェイスブックなどを通じた拡散など、キャンペーンの強化が訴えられました。

2時過ぎ、昼食休憩が伝えられ、「え!さっき食べたでしょう」と、挨拶を交わしていたアリシア・コレデラICAP副総裁に訊くと、「あれはオヤツ、今度が昼食よ」と言われ、「あんな大きなサンドイッチを食べたのに?エクレアまで食べちゃった!」と言う私に、アリシアは笑って、「オヤツと食事は別よ」。昼食もイベントの一部ということで、豪華なコース料理が出ました。サンドイッチを食べなければよかった、と軽い後悔をしながら前菜とサラダを頂いていると、シンディはベジタリアンでサーモンを食べません。ナディジェがサーモンを3皿も食べて、次の分厚いステーキも食べています。さすがに私はお腹が一杯でステーキはパス、キューバの牛肉はとても美味しいので残念でしたが。シンディはアイスクリームもケーキも食べず、徹底したベジタリアンです。

 午後は、ビデオ上映と「5人」の家族と代表団の決意表明などが行われました。

 夜8時半から“ホセ・マルティ反帝国主義の野外劇場”で “不正義に対抗するコンサート” が開かれ、ジェイムスと二人で出掛けました。シンディたちは、「くたびれたから夜のコンサートはパス!」でしたので。大きな黄色のリボンがあちこちに飾られた野外劇場前は、立錐の余地もないほど若者たちで埋まっていました。黄色のシャツ、バンダナ、黄色を身に付けた人々で華やかさが際立っています。私たちは首にぶら下げた“代表”のカードを警備の人に見せて、舞台の一番前に案内してもらいました。「5人」の家族の方々と一緒の場所です。“キューバ国歌”が始まり、みんなが歌い出しました。

「5人」の家族とレネが参列しているのが紹介されると、みんなが一斉に黄色のリボンを振って割れるような拍手と喚声が起きました。華麗なピアノを聴かせるマエストロ、フランク・フェルナンデスを初め、シルビオ・ロドリゲス、ロス・バンバン、ダニー・リヴェラ、アマウリ・ペレス、ファニなど約30ものアーチストが「5人の英雄」を讃え、帝国主義に反対して演奏。ダンスや詩の朗読なども行われ、人気アーチストが勢揃いしたこのコンサートには若者が数万人も集まり、熱狂的な声援を送って、夜が更けるほどにフィーバーしていきました。私はジェイムスに、「このコンサートは終わらないでしょう、私たちは明日もあるから」と、「5人」の家族にベシート(頬キス)の挨拶をして、午前0時前ホテルへ帰りました。

 <次号へ続く>                    

「5人の英雄」の釈放のための国際集会〜15年!もうたくさん! その2                           

活動日3日目(9月13日)、「私の国はいつも戦争、マキ、貴女の国にはカローシがあるのね」など、いろいろなことを話し合ったシンディ・シーハンは今日帰国。みんなで“お別れ朝食”して、UNJC(キューバ法律家組合)へ。参加人数が何故か少なく、バス2台のはずが1台でもガラガラです。着くなりコーヒーが振舞われ、「眠ってしまわないように」と言われ、さては、難しい話かな? これが大当たり!法律家ばかりの法的なお話。弁護士からの報告など、必死で聴いていたけれど、ほとんどさっぱり。米国がキューバに如何に理不尽を、というようなことを説明していた、と思うけれど詳細は聞き取れませんでした。これに対し、メキシコの弁護士など、質疑応答みたいになって、これも専門的な話でしょうか、私の貧しいスペイン語では、ほんのたまに分かったような、で、眠るどころではありませんでした難し過ぎて。道理で参加者が少ない筈でした!(写真は“ラファエル・トリフォ”ボクシングジムで習っている子どもたち、ハバナビエハ街の探訪)

 次にUNAC(文筆家&芸術家同盟)へ。ここは対面式でなく、お互いの顔が見える円形に椅子を並べて、雰囲気もかなりリラックスしてはいたのですが。“5人のキューバ英雄”に関して著作を発表している文筆家や詩人など、これもなかなか高等レベルの話ばかりです。マイクが廻ってくるので何を話したらいいかと緊張していましたが、私を飛ばして次の方へマイクが渡され、ほっとしました。(ほっとしてちゃいけないのですが^^;)

今日の昼間の活動はいずれも専門家の集まりで、英語通訳もなく、シンディが何故今日帰ったのか、やっと納得でした。夜は地域CDR(「革命を守る委員会」という名前ですが「町会」のような組織)の歓迎会でした。

ケニアICAP総裁が参加者を紹介し、CDRの張り切った女性が革命的な挨拶をして、一斉に拍手と歓声が上がり、すでに仲間の雰囲気になりました。

私の大好きなポロ・モンタニェスの歌が大音響でかかって、パーティーが盛り上がってきます。「あ!貴女、昨日テレビに映ってた、コンサートの舞台前で。2回も映ったよ。この人、昨日テレビに出てた人だよ!」と、一人の男性からいきなり声をかけられ、私を指して他の人たちに紹介?しています。「黄色のスーツに黄色のリボン持ってた人だ!」あっという間に取り囲まれ、あれやこれやと話しかけられ、「私もCDRのメンバーです」「え?キューバに住んでる?」「ええ、アラマールに」「アラマールに住んでるの?何年になるの?」「11年くらいかな、独りよ日本人はアラマールにたった一人!」「え〜日本人は独りだけ!?」「15万人のうち一人!」入れ替わり立ち代り話に来る人で、何度も自己紹介したり冗談言ったり、ラム酒を勧められ断るとジュースを渡され、ワインも渡され、「もっと飲んでよ、飲んでないよ」と次々。そのうちダンスが始まって♪ 年配の男性がなかなかよく踊らせてくれて、ポロの曲で、気持ちよく踊って♪ 次に若者が、「僕と踊って!」と手を差し出し、10年前流行った好きな曲がかかりました。若者らしくアップテンポでクルクルクルクル廻され、そのうち腰を廻しながら沈めて沈めて、と、ヤンヤの喝采が起こってみんなが囃し立てています、レゲトン風に踊る踊る♪♪♪ やっぱり私は夜の方が得意かしら^^。

名残惜しくみんなが、バスに乗り込んだ私たちを見送ってくれて、若者たちはバスについて走って来て、キューバ人との直接の交流は本当に愉しいです。

 活動日4日目(9月14日)、初日に受付で渡されたスペイン語のプログラムにはこの日は何も書いてありませんでしたが、英語のプログラムには、朝8時半ホテル発、900“ハバナ歴史の旅”。1100“5人のキューバ人”に捧げる著書発刊のプレゼンテーション。午後は、「ハバナビエハの共産主義的プロジェクト訪問」と書いてありました。ハバナの街の探訪は私にとって珍しくありませんが、「初刊本プレゼンテーション」は、キューバの知識人が集まる、私などが出席できることはないチャンスなので期待して参加しました。なんとどうでしょう!憧れのリカルド・アラルコン・デ・ケサダ氏とツーショットして頂きました!(写真はアントニオの本にお姉さんからサインを頂いて)

プレゼンテーションは延々と続き、テレビカメラが構えられたハバナビエハの木道の私たちを観光客が何事かと見て通ります。午後1時過ぎ、皆は立ち上がりましたが、本の販売に並び、イベントが終ったのか終わらないのかホテルへのバスはまだ出ないと言い、そこからみんなでゾロゾロと歩いて、「何処へ行くの?ホテルへ帰るのではないの?」と訊く私に、「これからカクテルがあるよ」との説明。着いた先では、出てくること出てくること、ワインにラム酒にワインにラム酒と次々、「もっと飲みませんか?ロンは?ワインは?」と懇談が続きました。

  「次は11月、オルギンで会いましょう!」を合言葉に、米国、カナダ、メキシコ、アイルランド、オーストラリア、韓国、そしてキューバの友だちになった人たちと別れを惜しみながら再会を約束しました。(写真はジェイムスと彼の著書を持って)


「5人の英雄」釈放オルギン国際集会                  

\ COLOQUIO INTERNACIONAL POR LA LIBERACION DE LOS CINCO HEROES  Y CONTRA EL TERRORISMO201311/1317

 “第9回テロリズムに反対、「5人の英雄」釈放オルギン国際集会”に、再び黄色ファッションで参加しました。

1113日未明、滝のような豪雨の中、ホセ・マルティ空港へ向かいました。道が川の如く洪水状態。それでも、ハバナ発オルギン行きのフライトは6時定刻出発、7時40分予定通り到着しました。オルギンは素晴らしいキューバ晴れ、青空が広がり、風が爽やかです。「タクシー!タクシー!」の呼び込みに「オルギンホテルまで幾ら?」と訊きながら大勢の運転手たちを見ると、すぐ隣に「\COLOQUIO」のプラカードを持った人が私を見て、「ハポネサ!」。ICAP(キューバ諸国民友好協会)が迎えに来てくれたのです。このイベントの参加者は、昨日ハバナをバスで出発して既にオルギンに着いているのですが、私はキューバの永住ビザを持っているので外国人専用バスよりも飛行機の方が安くて便利なので一日遅れで来ました。バスは昼食付き20CUC(これは格安)+ホテル1泊22CUC必要で、キューバ人の飛行機代は約7.8CUCです。ちなみに、イベントの参加費用は15CUC(送迎含)、ホテルは(シングルユース朝食付)4泊で88CUCです。あまりに安いのでホテルの待遇を心配しましたが、快適でした。

午前の分科会で幾つかのVTRを観ました。スピルバーグやデカプリオなど米国ハリウッド有名人の発言集、オバマの1回目キャンペーンビデオなど興味深いもので、さっそくコピーをお願いしました(友好協会で上映しましょう)。「あらゆる可能なメディア、本・映画・ビデオ・音楽・ポスター・アニメ・コミック・ゲーム、何でも持てるすべてを活用、創作して、我々の主張を拡散しましょう!」と、提起されました。質疑・討論では、カナダ・バンクーバーのグループから、ツイッターやフェイスブックなどはお金もかからないで広く宣伝できると、”Madre de los cincofacebookが紹介されたのを始めに、アルゼンチン、米国ニューヨーク、ニカラグア、ナイジェリアの参加者から、「常に問い続け、知りたいことを追求しよう」「キューバサポートを広げよう」「ワシントンへ“5人”の釈放要求を活動して行こう」「“5人”をネットやメディアで拡散しよう」など熱い発言が続き、アルゼンチンの別グループからは、「“5人の母たち”国際コミテ」の必要性が、ブラジルからは、「オバマ、ギブミー5」のエコバッグやTシャツを作ってアピールしていること、ラテンアメリカ医学学校留学生からは、「5人のベネスエラ青年が “5人のキューバ人の自由を要求”するキャンペーンで、チェのようにバイクで南米各国を周った」と映像入りで紹介されました。

昼食時、9月ハバナの国際集会で出会ったスペインのホセたちと再会し、新たにスイスからの参加者を紹介され交流し、米国の社会主義者の新聞“THE MILITANT”記者たちとも懇談しました。午後、メイン会場となった広い展示場は各国からの旗・横断幕・展示物で埋まり、参加者の熱気であふれていました。(写真:メイン会場)

開会宣言(朝から開会してたと思ってた!)に続き、各国からの報告や討論が、これまたテンション上りっぱなしで、スペイン語と英語、いずれもお国訛りの話し方で聴き取り難しく必死で聴きましたが、何しろ血の気の多い人たちの集まりなので討論は終わりを知らず、血の気の多さと気の多さでは引けを取らない私も、夜中2時起床のフライトでさすがに消耗、夜のイベントに備えて5時半過ぎ、終わらない会場をあとにホテルへ帰りました。夜はお楽しみCDRの歓迎会。広場に集まったものすごい人の山、その熱烈な歓迎にまず度肝を抜かれました。キューバらしく歌で始まり、熱気ムンムンの中、各CDRに分かれて(というほど多くの人が集まっていた)、そこでもまたまた熱い歓迎振りに会い、コーラス、詩の朗読、少女たちの可愛らしいフラメンコダンスなどと、お菓子や果物、ラム酒などを振舞われたところでいきなり大雨となりました。若者たちはずぶ濡れになって踊りまくり、私たちはご馳走に舌鼓、CDRのご婦人方と懇談。どこでもCDRの歓迎会は感動的です♪

 2日目は大学訪問です。私のグループが訪ねたのは、「体育スポーツ高等学院」で、生徒数868人に対し、教師・医師・インストラクターなどが210名という素晴らしい環境の大学でした。5つの州から生徒が集まり、5年間、教育と健康、専門を身につける学校で、45%が女子学生、外国からの留学生も受け入れていて、昨年はニカラグア、ナイジェリアから入学したそうです。学生同盟委員長から、世界各国の大学と交流・連帯している、世界青年学生祭典にも出席するなどの報告がありました。ヘラルドの姉イサベルから、「“5人”の家族は私たち家族だけではなく、キューバ全体、全国民が“5人”の家族になってサポートしてくれている」、ラモンの娘ラウラからは、「ウエブ、ツイッター、フェイスブックやブログなどキューバの学生はあまり持てないが他の国の学生はネットアクセスも容易でいろいろの手段を持っている、それらを活かしてもっと広げることが出来る、それぞれの家族を紹介するなど知られていない国へ情報を伝える重要な活動となる」などの訴えがあり、参加者の討論となりました。米国の若者から、「大学のスポーツ予算・課程は削減されてきている、金の無いものはスポーツの権利も無い、チョコレートを売って学費を稼いでいるのが現状」など、各国から様々な報告や意見が交わされ、学生たちの素晴らしい歌とコーラスで終わりました。

午後はメイン会場で“5人”の家族の話でした。中でも印象深かったのは、こういう集会に初めて参加したというラウラたち“5人”(5人の内、子どもを持たないまま刑務所に入れられた人もいる)の子どもたちの切実な話でした。「15年前自分はまだ幼かったので何もわからなかった、パパの居ない家庭で育ち、パパのイメージが持てないまま…」と絶句する様子には涙を禁じえませんでした。解放されたレネは、「突然逮捕されたあの日のことを忘れない」と、米国政府の理不尽なやり方を語り、夫人も、「夫は帰ってきたけれど心は休まらない、5人全員が釈放されるまで平安は来ない」。そして、「解放の日を持たないヘラルド」へ思いを馳せ、「15年間一日とて休む日は無く来たけれど、笑顔が希望をもたらすと言うので常に笑顔でと心がけている」という家族たちの言葉に、会場は割れんばかりの拍手で励まし支持を送りました。(写真:レネご夫妻と)

引き続く討論では、米国の刑務所には200万人収容されていることなど、各国の政治状況なども語られ、キューバへの連帯と“5人”の釈放への活動提起、経済封鎖反対、テロに断固抗議・反対の意思表明が、それはそれは熱く激しく語られました。参加者はその度に、「リベルタ!」「クーバー・シー!ブロッケオ・ノー!」「ビバ!クーバ!」と応え大いに盛り上がりました。

夜は、ヘラルドとアントニオの描いたカリカチュア展示場と劇場での子どもたちの文化行事でしたが、私は熱気に当てられてか疲労激しく、また明日に備えて、冗談連発のホセたちとお喋りを楽しんだだけで部屋に引き揚げました。 

 3日目は早朝出発で街中の文化会館へ。バスの移動には常にパトカーが先頭を行きます。道端や家の中から、人々が私たちに手を振って歓迎を表してくれます。オルギンは自然が美しく、農場や公園が多く広々しています。バスの中は、「オーレオレー!リベルタ!ロス・シンコ!」と既に大盛り上がりで、コートジュボワールや南アフリカの青年たちが入れ替わり来ては一緒に写真を、と日本女性は何処へ行っても構われます^^。バスを降りると、道の両側に先が見えないくらいずらりと若者たちが並んで私たちを歓迎してくれています。建物の入り口では、小学生がお花を捧げて待っていました。(写真:子どもたちから歓迎のお花)

楽団の演奏に始まり、俳優による詩の朗読、歌やダンスが披露され、詩人でもある科学者がオルギンの歴史やキューバの闘いと国際連帯を誇り高く語り、参加者の熱いメッセージ、全員で歌い踊り、ここでもまたフィーバーでした♪♪ 用意された昼食は、ホテルの食事よりもずっと美味しく心のこもったもので、ピアノの生演奏を聴きながらデザートまで素敵なランチタイムでした。名残惜しく地元の方々とお別れをして、さてバスに、と思ったら、なんとバスがパンクしてスペアが無いから何処かへ取りに行く、との説明です><。 待つ間、先ほどの歌手がギターを抱えてきてみんなで歌いました。♪グアンタナメラ♪「フィデルフィデル♪」と合いの手が入り、♪グアンタナメ〜ラ♪「クーバソシヤリスタ♪」と合いの手が入る愉しい歌い方、キューバやラテンの名曲の数々、緑濃い美しい公園、パンクのお陰で至福の時を過ごしました。夜はエッディ・スニョール劇場で芸術の宵。演出素晴らしく、感動的な歌やコーラス、演奏でした。

 4日目“チェのモニュメントで演壇”とプログラムにありますが、さて? キースやホセに訊くと、「あそこまで8キロ」とか「2時間歩くよ」と言います。靴と帽子にお水、しっかり支度して出ると、“デモ行進”でした! 朝7時、住宅街を熱気に逸った世界の闘い好き仲間が大きな声でシュプレヒコールして歩きます。日本なら早朝の住宅地、とても許可が出ないでしょう、ここはキューバ、みんなが声援してくれます。「オーレオレ!リベルタ!ロス・シンコ!」「5人を釈放せよ!テロ犯人ポサダを刑務所へ!」(写真:デモ行進)

モニュメントに到着すると歌が聴こえ、革命広場のように人が集まっています。“5人”の家族、米国で支援活動しているジャーナリストなどのアピールがあり、最後に“イマジン”の曲が流れ、空を覆うような数の鳩が放たれました。会場に戻って、閉会式です。ケニアICAP総裁のアピール、40カ国210名以上の参加、来年6月米国での活動などのまとめと紹介があり閉幕しました。

夜は、オルギンの丘の上で青年同盟主催の若者たちのコンサートがありました。最後に全員でダンスが始まり、思わず「アグア!」と叫んだら、天に聴こえたのか雨が降ってきてしまいました(キューバではダンスの始まりに「アグア(お水)」と叫ぶ)。(写真:ケニアICAP総裁とアリシア副総裁とダンス直前)

 この“オルギン国際集会”は、文化など盛りだくさんのプログラムで世界の人々と交流できる素晴らしい企画です。フィンランドやスイス、東ティモール、アフリカ各国などなど日頃知らない国の人々と、お腹を抱えて笑い転げるほど親しく懇談しました。

来年1027日から31日までハバナで国際集会、2015年はオルギン特別集会、みんなで再会しましょうと約束して、それぞれ次の予定地へと向かいました。次は是非、日本から多くの方々が参加されることを願って報告を書きました。              
☆ホームページ風ブログ:
http://ameblo.jp/miyamakicuba/entry-11096658145.html

※2013年のしんぶん赤旗「女性の目ア・ラ・カルト」掲載
   1月15日付「家電の持ち込みは要注意」
   2月26日付「私たちのメディアを!」
   3月26日付「キューバの人間教育とハイテク」
   5月21日付「国際ブリガーダ〜熱い連帯」
   6月11日付「ルンバのリズムに乗って〜調和を持って仲良く暮らす」
   11月19日付「献血でビール?」
※2012年のしんぶん赤旗「女性の目ア・ラ・カルト」掲載
    2月21日付「お祭り騒ぎのバレンタインデー」
    3月27日付「行く先々で道を尋ねると」
    5月15日付「乗り降り大変”トラックバス”」
   7月17日付「ジャ!もう真夏」
   10月28日付「夫と同居してますか?」