活字の誘惑 > 女性の目ア・ラ・カルト〜赤旗しんぶん国際欄キューバ


2005年2月8日「革命戦士の死を今も語り継いで」

義兄の妻ルーペは九人兄弟の末っ子で、彼女は「我が家は革命一家」と言います。
 革命途上で殺された3番目の兄ホセ・アントニオ・ボイサン・バリエントスの誕生日1月4日、記念の集まりがありました。
 1958年6月26日、バチスタ政府に殺害された彼は、その時19歳。キューバ革命勝利の半年前です。
 キューバ革命は、米国の支配下に置かれたキューバを完全に独立させるための闘いで、いろいろな階層、団体、政党、学生、たくさんの勢力が結集したものですが、彼は当時、オルギン州コンバテ・デ・モアの戦いに参加していました。
 出かけるトラックには、家族だけでなく知らない人も来ていてごった返しています。私も座布団と帽子を持って荷台に乗り込みました。
 大騒ぎの末出発したトラックがすぐ近くで止まり、何か待ち。荷台の人たちは口々に、
「おーい、まだかア?」「風呂入ってんのかー?」などなど声をあげ、みんながどっと笑い、やって来た大きなケーキが、19人乗ったすし詰めの荷台の真中で男性4人に支えられ、着いたのはモンカダ襲撃の際アジトになったグランヒータシボネイ。ここで共に闘った仲間達が合流。
 ピオネールの子ども達も参加して、当時の模様を聞き、仲間の遺族が今も住んでいる家へ。
 ホセの名前を記した小学校の生徒が拍手で迎える中、戦没した同志の名前が付けられたこの地最初の革命防衛委員会へと一団が移動します。
 最後にレストランでパーティとなり、それらを新聞やテレビが追っかけインタビューし、義姉たちが誇らしく応えていました。
   キューバ、サンチャゴ・デ・クーバより、



今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪



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岡惚れ、ベタ惚れ、ビバ!クーバ(万歳!キューバ)!
愉しく生きられる祖国になろうヨ!
人間は金よりも尊い
"愛"を持って闘ったキューバ
食べ物をもてあそんではなりません