活字の誘惑 > 愉しく生きられる祖国になろうヨ!


”拍手は惜しみなく”

開演前のざわめきの中、何処からともなく拍手が起こった。
初めバラバラっと、次第に大きな拍手となった。私も慌てて立ち上がり、拍手しながら2階席の中央を見た、誰かが現れるならここだろう。

でも、誰が?
ここはハバナのガルシア・ロルカ劇場。

ハバナ中央公園の斜め前に、華やかな彫刻を施して建つ、場内はミラノのオペラ座に良く似た劇場。ドーム型の高い天井の絵、丸く囲んだ2階から上の座席が舞台を見下ろして、着飾ったハバナっ子たちが集う愉しい社交場。

ここの一階席やバルコニー席が取れたときは、私も飛び切りのお洒落をして、うちの用心棒(?)を従えて早めに着席する。

今夜の催しは、キューバ・クラシックバレーの“ドン・キ・ホーテ”。キューバ国立バレー団。すると?
予想通り、現れたのはキューバ・バレー界のプリマドンナ、アリシア・アロンソ。
紫のターバンを頭に巻いて、眼も覚める美しいドレスに身を包んだアリシアの両側には、腕を貸した2人の紳士が。ゆっくりと歩を進め、中央の座席の前まで来るとアリシアが場内に向かって軽く頭を下げた。

波のように続いていた拍手が万雷の拍手になった、人々の敬愛の深さを示すかのように。
米国の国立バレー団設立にも寄与したといわれるアリシア。

永遠のプリマと人々から愛されている彼女の眼は、もうほとんど視力が無い。
だが今も変わらず後進の指導に当たっている。

キューバでは、人々の間に尊敬する人物が現れると自然に拍手が沸く。それはいつもハプニング。どんなときに誰が来るかなんてまったく知らされていない。けれども誰か現れると、その誰かによって、拍手が起こったりするのだ。

2000年12月、新ラテンアメリカ国際映画祭の初日、カール・マルクス劇場で、開会を待ってお喋りに興じていた私たちは突然起こった拍手に戸惑った。それは前の席の方からパラパラと聞こえ、次第に怒涛のような拍手に変わり、人々が立ち上がった。背伸びして見ると、フィデル(カストロ)が最前列前をひとり早足に歩いて来る。

「きゃー!フィデルだ!」

私たち日本人映画ファンがミーハーな声を発したが、周りのキューバ人は拍手して、静かに腰を下ろした。

オープニングのオマーラ・ポルトウンドの歌が終わるとフィデルは帰って行った。
唄わない踊らないフィデルだから、これもオマーラへの表敬だったのかもしれない。

バレーリーナの回転が20回を超える度に拍手が起こる。
そして素晴らしい舞台の終幕には、満場、起立しての拍手が鳴り止まない。

「ブラヴォー!」、口笛が鳴り、何回も繰り返されるカーテンコール。
ステージと観客が一体となっている。
こんな熱さが私は大好き。


“文化の無い人生は味のない料理”

文学・芸術・スポーツ、文化は、教育や医学と同じようにキューバではとても大切にされている。

人間の成熟度に比して密度の濃い仕事ができる芸術の分野では、若いことが人気の一つでもあるような日本の価値観と違い、熟練するほどに尊敬度が高まり人々の賞賛が集まる。

50年以上現役で活躍している歌手・芸術家は多い。年齢による引退は無い。スポーツなどで秀でた人には、国家から車などのプレゼントもある。

いつでもどこでも音楽が響き、ダンスは生活の一部のようになっている。キューバ人は生まれるとき、ママのお腹から踊りながら出てくると言われるくらいだ。

そして美術も暮らしに溶け込んでいる。
街を歩くと壁一面に描かれた絵に出合う。美しい色彩、風刺の効いた画、歴史を描く大壁画などが道行く人を楽しませている。学校や病院ばかりでなく、家庭でも絵を飾っているところが多い。

彫刻や建築も実に素晴らしい。
すべての国民に、生存権が確実に保障されているからなのだろう。人々は生活や医療、将来の心配をすることなく、文化をみんなが享受している。

ここでは即興詩にメロディーをつけて歌うのをよく聴くが、キューバで一番尊敬されるのは詩人だという。実はこの私、最初に出会ったキューバ人から詩を送られたのだった。

“私の人生に一条の光が差した、、、
運命を感じさせる、、、 ”

と謳われたその詩に、まんまと乗せられたような気がしないでもないのだが、今思うに、、。

個性を重んじ、ひとり一人の能力を引き出すキューバの教育は、文化やスポーツなど特殊な才能を小・中学校の先生が早期に見出し、本人が希望すれば専門教育を受ける道が、これも無償で開かれている。

キューバでは、夢は実現されるものなのだ。


“愉しくなければ価値が無い、
苦しむより楽しめば良いのに?“


映画などを通じて日本ファンの多いキューバ人から、
「何故、日本人は死ぬほど働くの?」という質問を受ける。

経済の発達した国なのに、どうしてもっと働くのか?というのだ。
「システムが違うから」としか私は答えられない。

キューバ人は自分と家族のために働き、日本人は企業のために働いている。
「だから日本の企業は大きいのか、でもそれは馬鹿らしいね」と笑われてしまう。

「自分を苦しめないで楽しめば良いのに、日本人はハラキリが好きなのか?」と言われてしまった。

タクシーの中の会話で、
「日本に関して一つだけ解らないことがある。日本は米国からあんな残酷な原爆を落とされたのに、どうして米国の言いなりになってるのか?」と訊かれた事がある。

人間の尊厳を持っているキューバ人には到底理解できないことなのだ。
私だって、理解に苦しんでいる、日本人の心。

米国の政治・経済界に媚びへつらうことで大儲けしている大企業・政治屋ならわかる。だが、そのシステムの犠牲になっている国民が、あいも変わらずそれらの勢力を支持し、黙々と働き、黙って従い、貢いでいる現実には信じられない思い。
まさか、日本人は何も知らない、ってわけではなかろうに。


米国に隷属していたキューバが主権を取り戻したのは、約50年前。

日本は“高度成長”の掛け声で経済第一の階段を駆け上がり始めた頃だった。敗戦で国土も人間も疲弊しきっていたところに“朝鮮戦争”が起こされた。日本の経済人は“目覚まし時計が鳴った!”と言って、戦争特需による大儲けをしたのだった。

日・米の経済界と政界の儲けの構図・システムは、世界を視野に“戦争・軍事産業”も辞さず、国民の犠牲をものともせず、63年、突っ走ってきた。
日本は、経済だけでなく、農業も文化もありとあらゆるものが米国に隷属したまま63年。

国土・空・海は米軍の意のまま、日本中に基地がある。
首都にまで外国の基地を置かせる国が、世界にあるだろうか?


キューバが米国の首輪を外し自由を勝ち取ったのには、それ相当の国民的合意と努力があった。文字通り命がけの。

米国とつるんでボロ儲けをむさぼっていた支配勢力の力は、キューバ全島に行き渡り、これに立ち向かうなんて不可能に見えた。政府に反対する者には、残虐な拷問と暗殺が日常的に行なわれていたのだから。

しかし、キューバの知識人と若者は立ち上がった。国民のすみずみに語りかけ、従属させられているシステムを知らしめ、そこから解放させる未来図を示し、学習し合い、全国民へ闘うことが呼びかけられた。

文字すら知らなかった奴隷労働下の農民が、命をかけて闘いに参列した。
そこには、本当の意味で、愛する人たちを守る家族愛が、同胞への愛が、祖国を想う心があったのだろう。

キューバ人が自分自身の主権者となって、
「楽しくなきゃ人生じゃないよ」と笑って暮らせる今をつくったのは、彼ら自身なのだ。

今、キューバの人々の愛は、経済先進国の犠牲となっている開発途上国へ、世界へ向かって飛び立っている。


“遊びをせんとや生まれけむ♪” 

私がキューバに住んでいると言うと多くの日本人は、
「え!社会主義国でしょ、大丈夫?」と訊く。

旧ソ連やかつての中国などのキビシー社会を連想するのだろう。
かくいう私も、キューバ島に一歩足を踏み入れるまでは、“オリーブ色の革命”とは、軍服をイメージしていた。キューバ人がこんなにも人生を謳歌しているなんて、日本や世界のマスメディアは伝えていなかったのだもの。

キューバの娯楽のひとつにショー・キャバレーがある。
初めてハバナのキャバレーを観た時、その美しさと魅力に眼を瞠った。パリのフレンチカンカンもなかなかだったけれど、キューバ人の、スペイン人とアフリカ人を掛け合わせた見事なプロポーションに、先天的なリズム感と遊び好きの陽気さが加わったショーは、愉しいことこの上ない。セクシーなのに清潔感がある。

キューバでは、性の商品化は厳禁。だから女性が男性にサービスするようなことは一切無い。

傍に座ったりもしない。ただ観るだけ。鑑賞なのだ。
美しさの強調に長けているキューバ女性の、媚びない誇り高いセクシーさは、それはそれは魅力的。

性が堕落させられている日本や米国では味わえないだろう。
人間としての正当な色気を、嫌悪感と恥ずかしさを持たずに愉しめるのは素敵だ。
女性ばかりではない、男性の肉体も綺麗なこと。

キューバ・キャバレーは街中だけではない。
キューバのリゾート・ホテルはオール・イン・クルーシブルで、食事はもちろん24時間フリードリンク、ディスコやバー、ヨットなどマリンスポーツ遊び放題、ダンスレッスンからスペイン語教室まで、お遊びの相手もしてくれるアニマドーレスがいる。ちょっとカッコいいキューバンボーイ、ガールたち。英語・フランス語・イタリア語などをこなすプロだ。

毎晩繰り広げられる演奏やダンス。中でもキャバレーは、もう最高! ど〜しよ〜、って熱が出そうだった。

あの龍宮城から日常に戻ってくるには、勇気が要ったナー。

♪遊びをせんとや生まれけむ♪
日本も主権を取り戻して、国民みんなが愉しく生きられる社会を創ろうヨ!


今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪


下の写真は、家の近くの海辺で、サッカーをする青年たち。
空き地があれば、どこでも、子どもたち、青年たちが遊んでいるキューバです。




下の写真は、キューバ・クラシックバレー界のプリマドンナ、
アリシア・アロンソ

      


★雑誌「ひとりから」39号 2008年9月号掲載


活字の誘惑 記事


岡惚れ、ベタ惚れ、ビバ!クーバ(万歳!キューバ)!
愉しく生きられる祖国になろうヨ!
人間は金よりも尊い
"愛"を持って闘ったキューバ
食べ物をもてあそんではなりません