活字の誘惑 > 世界のくらしと文化〜キューバA


キューバ革命〜人間の尊厳を取り戻す革命

「ひと一人の命は、地球上で最も裕福な人間の
全財産よりも数百万倍の価値がある」 チェ・ゲバラ


  生存の自由権


51年前のキューバは“カリブ海のパリ”といわれるほど繁栄していました。一方独立国とは名ばかりで、米国の半占領の下、権益を貪る米国企業とそのおこぼれに預かる汚職・腐敗した政権が生み出す極端な格差社会で、多くの人々は貧困と無教養状態でした。
友人のマチルデは、「黒人が差別されるのは仕方の無いことだと思っていた。ハバナの都会で生まれ育った私は思春期の頃にはファッションやダンスや楽しい事しか考えていなかった。
黒人立ち入り禁止区域はあったけど、そんなものだと思っていたし、母は米人のメイドとして働いていた。
この社会が変えられるなんて想像もしなかった。それほど無知だった。
都会の人々は中流意識でいたし、みんな政治には無関心で、政治的な運動は一部の学生や知識人のやることで自分たちには関係ないと思っていた。
地方は極端に貧しくて話にならなかった」と話します。

 革命政権が一番に取り組んだのは、
食糧と医療と教育、そして住宅でした。
「人類社会を冒している最も残酷な苦悩」人種差別は、
制度としても社会通念としても廃止されました。
一人の餓死者も出さない、子どもには必要な栄養を、すべての国民に最高レベルの医療を。食糧・日用品配給と医療体制が整えられ、国民の命を守る政策が次々実践されました。
けれども、特権階級ともいえる医師や教師は革命後大挙して米国へ亡命してしまいました。
新しい政府の仕事は、医師や教師の育成、病院や学校の建設から始まりました。
そして今では、人の住むところどこにでも医師と教師がいるようになったのです。乳幼児死亡率は米国よりも低くなりました。

 キューバ島の最南東に自然と見事に調和したバラコアという美しい地域があります。山の中に独特の住居を構え、独自の暮らし方をしている人々です。村落を形成せず、山を登りながら一軒ずつが離れて建って、その景色はまるで絵のようです。人々はココアや果物を栽培し、ここにしか生息していない色彩鮮やかな陸地の貝で装飾品を作ったりして生計を立てています。
そんな一見原始的なところにも、コンスルトリオ(診療所)があり、学校も食糧配給のボデガもあります。
国民の基本的生存権が、住まい方の自由とともに、その暮らしも含め守られているバラコアを見て、国としての質の高さを感じました。
その景観の素晴らしさとそこに暮らす人々の素朴な佇まいと人懐こさは旅の醍醐味です。


 真の医療は予防と保健衛生
 
ワクチン開発など世界トップレベルのキューバ医療。
髄膜炎や難病眼科手術に欧米から患者がやってきます。

今年四月、肺癌も克服されました。
家から徒歩5分以内に、ホームドクターのいるコンスルトリオがあります。ここでは住民の健康管理や健康相談、各種予防注射や健診も行っています。

今年6月、大人のための10年毎の、破傷風とチフスの予防注射が一斉に行われ、2人の若い看護士さんが我が家へもやってきました。
そして私に、「貴女は婦人科健診も受けてくださいね」と言いました。
女性には、3年毎に婦人科健診があるのです。
妊婦健診も12回以上保障されています。
乳幼児の予防接種には13種類のワクチンがあり、ポリオ・麻疹・風疹・百日咳・マラリア・破傷風・ジフテリア・髄膜脳炎などは、キューバでは根絶しています。
また、性教育が学校でおこなわれ、エイズ感染率は低くなっています。希望すれば血液検査も受けられます。
 
歩いて10分ほどのところにポリクリニコ(総合病院)があります。
歯科・鍼灸などもあり、24時間体制で、年中無休です。
また、ホームドクターは、コンスルトリオに併設されている住居に住んでいますから、緊急の場合も対応してくれます。
本当に安心な医療体制です。

 夫の息子エリックが背骨の手術で、大きな病院アルメヘイラに入院したときは、彼の母親(夫の前妻)が1ヶ月仕事を休んで付き添いましたが有給で、病院では彼女の食事も出されます。手術後の個室も料金はかかりません。
我が家族だけでもここ数年、随分と医療機関のお世話になっています。
3年前、夫が夜中突然の痛みで救急車で入院、手術を受けました。12指腸潰瘍でした。
昨年は、義兄の心臓バイパス手術と、義姉の甲状腺異常。
亡くなった姑。
医療費の無料なことだけが有難いのではありません。私が最も共感するのは、医療にあたっての患者と医療従事者との人間関係です。

7年前私は、前歯が今にも落ちてしまいそうなほどの歯周病に罹っていました。歯科医は、
「かなり前から進行している歯周病ですね、抜歯して差し歯をしなければ。
歯茎の手術で膿んでいるところを取り除く方法もありますが、傷みがひどかったら、やはり抜歯しなければならないでしょう。それに歯周病は再発しやすいので。どうしますか?」
と、訊いてくれました。
その前年、日本の歯科で何の自覚症状も無かった奥歯を有無を言わせず2本も抜かれたばかりの私は、これ以上歯を失いたくないと、抜かない方法をお願いしました。
キューバの医師は、「歯茎の手術をやってみましょう」と私の気持ちを受け止めてくれました。
手術前には血液検査など諸々の準備をして臨みました。
術後、医師は、「これで3年から5年は大丈夫でしょう、よく歯を磨いてね」と言いました。
グラグラに揺れて痛かった前歯がシャッキリとし、リンゴも噛めるようになりました。
あれから6年半、私の前歯は健在です。手術をしてくれた歯科医のクリスチーネはその後、ベネズエラへ医療援助に行きました。

 昨年、私は眼科の手術を受けました。
強い近視に乱視も混じって眼鏡が片時も手放せない生活をしてきましたが、最近では、文字を読んでいると頭痛や肩こりなど、視力の弱さが身体のあちこちに影響してきました。
当初、近視矯正のレーザー手術を願い出たのですが、カリト・ガルシア総合病院の眼科医師は、
「レーザー手術は歴史も浅く今後が予想できない。
リスクがあるかもしれない、危険は避けた方がいい。
自分ならこの手術はやらない。眼鏡が一番安全だ」と、彼自身の眼鏡を指して言いました。

それでも視力矯正を諦めきれない私に、彼は眼科専門として名高いパンド・フェレル病院の医師を紹介してくれました。
レーザー手術では私のような近視は元に戻ってしまう可能性があり、また、手術をすると白内障になる危険性が高く再度手術をしなければならなくなる。それなら最初から眼内レンズを入れる白内障の手術と同じ方法で視力を矯正するほうがリスクはない、という奨励でした。
パンド・フェレルの医師は診断書を見て、
「これによると白内障はないということだから手術は出来ない」と言いましたが、落胆する私に、
「ちょっと眼を見せて」と私の眼を健診し、
「白内障の兆しが見えるかな、手術してあげよう」と言ってくれました。

数十年ぶりに裸眼で生活できるようになった感動は言葉では言い表せません。
映画も眼鏡無しで見られ、夜も階段も怖くなくなりました。
キューバの医師たちの親身な温かさが身に沁みます。

その後、カリト・ガルシアの医師レオネルはベネスエラへ赴きました。
そして、パンド・フェレルの医師、私の眼の手術をしてくれたリエフは今、アフリカの僻地で貧しい人々のために医療を行っています。
 

  “志の医療”立派な志の人間である誇り


 精神科の専門病院を兼ねた施設を訪ねました。
そこは、医師・看護士・様々な仕事をするスタッフなどすべての人が、最も人間性の高い人間であることを教えてくれた場所でした。

庭を歩き回っている人。
空ろな瞳を一方に向けたまま動かず座っている人。
スタッフにまとわりつくように話し掛けている人。
訪問者を歓迎して身体をいっぱい揺すりながら一所懸命歌ってくれる人たち。

私は涙が止まりませんでした。
ここでは患者から感謝されることはないのです。どんなに手を尽くしても相手には理解できない、治療が功を奏して改善しても本人にはやはりわからないままです。なんと虚しい仕事かと。
でも違いました。そこの医師やスタッフの方々は言いました。
「見返りを求める仕事ではありません。私たちは“志の医療”をおこなっています。誰にも理解されなくても、わからなくてもいいのです。誠意を尽くして医療を行うのです」
 


  
住まいは人権

命を守るのは医療だけではありません。
革命前、農村ではボイオ(掘っ立て小屋)住まいが多く、湿気と衛生状態の悪さとで人々の健康が損なわれていました。家畜と一緒に住んでいるのも珍しくなかったようです。
これらの小屋の建て替えと住宅建設が進みました。けれどもまだ需要に見合った住宅は確保できていないようです。

ミクロ・ブリガーダと呼ばれるプロジェクトは、一時的に職場を離れ、建築に携わるグループに参加して、その結果として住まいを入手するというものです。
1990年代、夫はこのミクロに希望して参加しました。
病院や学校、住宅などの建築現場で働くのです。その間は、所属しているコンピューターの会社から、同じ給料が支払われます。

約7年、建築の仕事に従事し、現在の団地型マンションを手に入れました。自分たちで建てて、その仲間たちでそこに住むのです。
広さなど幾つかのタイプがありますが、それを択ぶにはみんなでお互いを評価しあって決めます。最も勤勉に働いた人が一番に好きな住居を択べるのです。 うちの彼は2位でした。一度だけ交通機関の遅れで遅刻したのが一番になれなかった理由、と言っています。

我が家は2階の東南角部屋で、3LDK・72平米です。独身だった彼には破格の獲得でした。
バルコニーからは海が見えます。
金額は、給与の10分の1を毎月支払う15年ローンです。
我が家は月額48ペソで、日本円に換算して総額、約3万5千円(現在の地価相場は、約100万円)です。持ち家制度で無税です。

そんな経過で新居に移るわけですから、ご近所はみんな仲間、友だちです。日常生活で助け合うことが当たり前なキューバ人が、いっそう親密に暮らすことになります。

政府は常に、非常用の家屋を用意しています。
カリブ海に位置するキューバはハリケーンの通り道で、地震はないのですが、強烈なハリケーンはキューバの悩みです。
気象情報は迅速に伝えられ、避難勧告が出されます。
昨年の3つの大型ハリケーンでは200万人が避難し、数人の死者でした。家を失った家族には仮住まいが提供されます。我が家の近くにある政府の家は、広々とした草原に海が臨める場所にあります。


“蚊を退治しよう!
あなたとあなたの大切な家族のために”

環境衛生には、政府は格別の注意を払っています。
予防医学の一端でもあるのですが、かつて米国による細菌テロ攻撃で多くの国民が犠牲になった経緯があるからです。
毎年、蚊の発生する雨季には、フミガシオンという消毒部隊が各戸を回ってきます。日常的にも、水の管理などをチェックするソーシャルワーカーが定期訪問します。
我が家で2度、このチェックに大当たり?して罰金を取られました。
1度は、夫が根のついた小松菜を水に漬けたままバルコニーに放置し、そこにボウフラが湧いてしまいました。
2度目は花瓶だったでしょうか?

空き地の草取りや掃除を一斉にするボランティアが時々あります。
日曜の朝行われるこの行事は、全戸に参加義務があるのではないかと思うのですが、そうでもなさそうです。ほとんどいつも同じ人たちが出て、まったくやらない人もいるのですが、それを非難する人はいません。話好き議論好きの人たちですが、人に強制はしない、そこがキューバ人らしいところです。


           「人権と部落問題」2009年11月号掲載





今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪



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岡惚れ、ベタ惚れ、ビバ!クーバ(万歳!キューバ)!
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