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キューバ、その不思議な魅力・・・

   命の保障(医療)と人権の自覚(教育)を基礎に



 子どもたちが輝いている

子どもたちの声が響いています。
キューバでは夕方ともなると、其処ら中で子どもたちが遊びます。
小学生から中学生くらいまでの男の子たちが野球を。バット代わりの木の棒が使い古されて、大事にしているのがわかります。
未就学の子どもたちが、板切れに小さな車輪をつけた手造りの車に乗って競争しています。ときどき車ごとひっくり返っては大騒ぎ。見ているとハラハラしますが、子どもたちは平気です。 
向こうの広場では、青年たちがサッカーに興じています。
皆それぞれに喚声を上げているので、辺り一帯が、ワーンというような声に包まれています。
輝く笑顔の子どもたち、キューバ最大の魅力でしょう。

 ムシカ(音楽)はキューバ人の血液♪

キューバでは、何処に居ても音楽が聞こえてきます。
街の中でも住宅地でも、学校からも、音楽の無い生活はキューバ人にとって考えられないようです。
歩いていて突然踊りだす人もいます。目の前の人がいきなり踊りだし、初めの頃はギョッとしました。
もちろん、何のイベントであっても、ダンスは必須です。

 ボテ(ボート)と呼ばれる乗り合いタクシーは、ルートの決まった個人営業車ですが、50年も使い込んだアメ車やロシアの中古車などに、音楽だけはとびっきりをかけて走ります。
サルサやレゲトン、時には甘い愛の歌を甘ったるい声で音量いっぱいに聞かせます。乗客は、流れる音楽に身体を揺すったり、一緒に歌いだしたり、と、「なんとまあ!楽しそうですね」と言いたくなるほど屈託無い人たちです。
ここ最近では、中国や韓国から新しいバスが大量に輸入されてきていますが、このバスの中でも音楽サービスは欠かしません。
どの乗り物でも、運転手のお気に入りの曲を乗客に、むしろ自慢するかのように流しています。

 キューバに出会ってしまった!

メキシコ湾の機上から眼下に見えたその瞬間、あまりの美しさに息を呑んだのは、私が初めてキューバを訪れた2000年12月でした。

キューバの首都ハバナで毎年開かれる、“新ラテンアメリカ国際映画祭”に、エイゼンシュテイン・シネクラブ代表の映画評論家、山田和夫さんに率いられて、シネクラブの仲間のみなさんと参加したのでした。

キューバに関して、それまでほとんど何の知識も無く、モスグリーンの軍服を着たリーダーがカストロという名で、今も社会主義の体制を続けている国。なんとお粗末な知識しかなかった私でしょうか。そんな私がキューバの魅力にとりつかれてしまうとは。

 キューバって?

“カリブの真珠“といわれるキューバは、キューバ本島の他、無人島や岩礁1600からなるカリブ海最大の島です。
日本本州の約半分の面積に、人口約1100万人。
ヨーロッパ系白人25%、混血50%、アフリカ系黒人25%、人種・性差別の無くなった国として知られています。

15世紀の終わり、コロンブスがキューバ島に到着したことによってスペインの植民地となったキューバ。それまでキューバ島に住んでいたインディヘナ(原住民)は、スペインの過酷な使役の下に全滅してしまいました。
次に、労働力としてアフリカから黒人が連行されました。文字通りの奴隷です。

 キューバを歩いてみると、、

ハバナの街を歩いて、何か新鮮な驚きのような感じを持ったのは、白人も黒人も一緒にいる風景でした。
それはとても自然で、むしろ自分が何に新鮮さを感じているのか、最初はわからないくらいでした。
そして子どもの姿を見た時、心躍るような嬉しさを感じたのです。私の子どもの頃のように、大勢の子どもたちが道端で遊んでいるのです。無邪気に大声を出して遊んでいる子どもたち。
子どもたちの眼の輝きに、肌の色は見えなくなったように感じました。

よく見ると、肌の色が違うというのは目に付きやすい外観で、髪の違いや眼の色、顔の特徴など、実に多くの違った人種が混ざっているのがわかります。そのすべてが見事にミックスしているのがキューバ人、と言ったらいいでしょうか。
単一民族の日本では、他人と違うことが珍しく見られたり、時には恐れさえ感じたりする傾向があるように思いますが、キューバの子どもたちの溶けあった姿から、人間の自然な在り様を教えてもらったように思います。

そしてここキューバは、制度としては勿論、社会生活上も、すべての差別を撤廃した国です。人種差別・性差別・マイノリティ差別・未婚母差別などなど、いまだに日本にはある差別が、私にとって納得出来ない様々な差別が、キューバでは無くなっているのです。
 
ちょっと驚いたのは、うちの上階に住んでいた人たちです。
ゲイの方たちだったのですが、誰も特別な見方をしていなかったので、それまで私は知らなかったのですが、2人の男性が引っ越していくとき、近所の人たちの、
「仲良くやれよー!新しいところでもなー!」
という励ましの言葉を聞いて、ああそうだったのか、と思ったのでした。

 面白いと思ったのは、やはりご近所の方ですが、カップルだった男女の内、女性に恋人が出来て別れたけれど、元の男性が女性を諦めきれず、結局、3人で暮らし始めた、というケースです。
ラテン人ですね。平和だなあ、と思いました。これが米国人だったら、ドンパチとなるでしょう。

 キューバ人の戦い

かといってキューバ人が従順なわけではありません。なんといってもマッチョ自慢のキューバ人です。

19世紀半ば頃より、キューバではスペイン植民地からの解放と独立の戦いが起こります。
イギリスの統治から再びスペイン、
米国の謀略戦争が入り、
そして19世紀末、キューバ共和国として独立はしたものの、傀儡政権が置かれ、事実上のアメリカ合衆国(米国)の半占領状態となります。

人種差別と貧富の格差は激しく、特に地方では、無医療・無教育・住宅はパームの葉を葺いた小屋。乳幼児の死亡率は高く、農民の生活は奴隷制時代さながら。
一方、バチスタ政権の独裁と腐敗、米国の歓楽街となった首都ハバナは、ギャンブルと売春の街となりました。
自然の美しかったキューバ島の樹木は伐採され、農地は薬漬けで固くなり、国土は荒廃し、天然資源は米国に略奪されました。

ふたたび、国の完全な独立と主権のための闘いが、様々な潮流、色々な階層で起こります。
学生運動から、医師など知識人たちから、非合法の地下活動から。
最終的に真の独立を勝ち取ったのは、1959年、フィデル・カストロ率いる“7-26運動”の若者たちとそれに教育を受けた農民たちのゲリラでした。

  
キューバ革命が目指したもの

コロンブスが発見したときの言葉、「この世で眼にした最も美しい島」に、再びキューバが蘇ったのは、人々の手による革命によってでした。

私のスペイン語の教師でもある友人のマチルデは、
「革命が私に、尊厳ある人間として生きることをもたらせてくれた」と、語ります。
革命以前のキューバでは、黒人と白人の差別は海にまで及び、美しい砂浜の白人専用ビーチは黒人立ち入り禁止で、子どもの心にも人種差別の屈辱感を与えていたのでした。
また、一部の金持ちだけが高等教育を受けられ、非識字者も多かったと言います。
本を読むことが好きで、勉強好きの彼女が小学校を卒業したあと中学へ進むことが出来なかったとき、キューバ革命が起こりました。
「フィデルが、すべての国民に教育をって、学校をいっぱいつくったので進学することが出来た。私の人生が開けたのよ、革命で」。

キューバの人々は、国家の最高指導者であるフィデル・カストロを親しみを込めて、「フィデル」とファーストネームで呼びます。本人を目の前にしても、そう呼びます。
私がハバナ大学の留学生だったとき、元米大統領のカーター氏がキューバを訪問し、フィデル・カストロ議長と、大学で講演をしたことがあります。
その日、大学は大騒ぎでした。私はまだほとんどキューバに関して無知でしたが、ミーハー気分でカストロを一目見ようと、学生たちに混じって待ち構えていました。
緑の生い茂る美しいキャンパスに、車が入ってきたかと思う間もなく、長身のカストロがひとり、降り立ちました。そのまま黒山の人だかりの間を、ゆっくり歩いてきたのです。
学生たちが行く手を空けながら一斉に手を出して握手を求めました、
「フィデル!フィデル!」と呼びかけて。
国家元帥に向かって気安くファーストネームで呼びかける若者たちに、一瞬私は戸惑いました。でもこの有名人が目の前に居るのだから、と私も「フィデル!」と言って手を出しましたが、押すな押すなの学生の山に、残念ながら届きませんでした。
フィデルは歩きながら、たくさんの手に応えてタッチして行きました。

「フィデルが差別をなくし、すべての国民に教育を保障した。それまでは教師の資格を持っていても働く場が無く、また資格者も少なかった。フィデルが学校を建設し、教師をたくさん育成した」
夢が夢で終わらず、現実のものとなったマチルデが、キューバにはどれほどいることでしょう。

 キューバのいま

今では、革命後に生まれた人が多くなっています。
国に主権があるのは当たり前で、ひとり一人の人権が保障され、医療が無料であることも、無償で教育が受けられることも、そして食糧の大半が配給(廉価)で受け取れることも、すべての人に年金が支給されることも、みな当然のように思っています。
「私たち国民が生きていくことに政府が責任を持つ、それは政府の仕事」と、キューバ人は言います。

一方、権利意識の強いキューバ人が主張はするけれど義務が伴わない場面がある、職場から公共物を持ち帰ってしまう、などという問題が昨今起こって、数年前から“バタジャ・デ・イデア(思想の闘い)”が呼びかけられています。

何処の国にも汚職や腐敗があると思いますが、この国では、指導者になるほど規律正しさが要求されるようです。その地位を利用した犯罪には、一般人の場合よりも数倍厳しい罰があるとか。

米国による“ジェノサイド”とも呼ばれるキューバへの経済封鎖と、数々のテロ行為が半世紀も続いていますが、
「帝国主義がキューバを倒すことはできない、だが、キューバ自身が、その身の腐敗によって倒れることはありうることだ」と、フィデル(・カスロト元議長)が警告しています。

消費文化が、メディアを通じ、あるいは観光客と共にキューバに流入してくる現実の中で、人々の心がそれに負けていくのか、
それとも、
「世界のどこかで起こる不幸を自分の痛みとして感じる人間」として、「治るはずの病気で一人の人間も死なない世界、この地球上から飢えて死ぬ人がいなくなる世界を創るために」キューバが、半世紀にわたって世界の僻地・災害地へ医師団を派遣し、医師を育成し、識字運動を進めてきた、その人類史的偉業をさらに実らせることが出来るのか、
試練のときは続いています。

碧瑠璃カリブの海に鮮やかに浮かぶ緑の島キューバは、えも言われぬ美しさです。
何処までも続く広々とした大地に、聳え立つ椰子の木が風に揺れている様は壮観です。
それは、キューバ独立の父ホセ・マルティの言葉、
“正義を、椰子の木よりも高く掲げよ”を、思わせます。

キューバの魅力の一つでもある、キューバ人の底抜けの明るさ。
その秘密は、「ひとり一人が尊厳を持って生きることが出来る社会の実現」を目指したキューバ革命の真髄が花開いているから、ではないでしょうか。

           「人権と部落問題」2009年10月号掲載





今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪



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