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◆鎮魂〜27年目の6月6日

暑い日が続いている。キューバ全体が例年より気温が高い。
日本の37年前の今頃も、暑かった。
その年は5月から暑くなっていた。妊娠中毒症で入院し、厳しい食事制限のまま酷暑の8月、出産したのだった。

そして、27年前の6月。桃が美味しい季節。
その頃の私には、果物は高価なものだった。中でも桃は、高嶺の花。
見舞いに、と頂いた高級な桃を、娘に食べさせることができたのだったけれども、それは、もうほとんど果物しか喉を通らなくなっていた時だった。

この日には、いろいろなことを思い出す。
この日ばかりではないのだけれど、この日は特に、辛さを伴って、自責の念も交じり合って。

無力な故に、いっそう虚無的になりながらも、あの時思ったのは、
人類は何故、命を救うために全力を尽くさず、命を奪うことに、争うことに、より多くの金や資源を使うのだろう、
この世界から戦争をなくし、人類がその知恵やエネルギーのすべてを命を守ることに懸ける、そんな人間社会の在り方にならなければいけない、
その実現のために、必要とされる闘いを闘っていかねばならない、と。

省みて、己の人生に嘘はないけれど、
キューバに居を移したことで、土着的闘いの現場から遠のいてしまったことは否めない。
それでも尚、闘いの方向性は変わらない、闘う意志も変らず、ただ形を違えて、よりいっそう大きな視野を持って、挑んでいきたい。
 
真夏日和の日曜の今日、いつもの海で泳ぎながら、
あの娘がいたらきっと一緒に泳いでいるだろうな、と思った途端、思い出した。
家族で行った八丈島で、あの子は海に潜って遊んでいた。
まだ泳げもしなかったのに、ゴーグルだけで背の立つか立たないところで潜っていた、珊瑚を拾って。

あの時そうだ、クラゲに刺されて、「敵討ち!」なんて言ってクラゲの頭を一つひとつ掴んで岩に放り投げていたっけ。
勇気のある、気丈な娘だった。
あの時が、小学校に上がる前だから、5歳だった。
今いたら、一緒にダイビングもしてる筈。
そんなことを思ったら、少し楽しくなって、思い出を懐かしみながら今日は泳いだ。

カモメやペリカンが、水面すれすれに飛んでくる。
海は広いなー、
大きくて、
ずっと日本まで、
どこまでも繋がっているんだ。
 


今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪



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