独り旅・留学の記 > 独り旅は、もの思う旅


◆独り旅は、もの思う旅

私が初めて独り旅をしたのは中学3年のときだった。
旅と言っても、行き帰りがひとりだった、というくらいのものではあったが。

母はきょうだいが多く育ったから、親戚が大勢いる。
そのほとんどは九州で、東京に用事のある時、親戚の人たちはうちに泊まった。一人っ子の私には、それが楽しみでもあった。

中学3年の夏休み、私は独りで九州の親戚を訪ねた。
今思えば、あれは母の教育のひとつだったのかもしれない。

次の独り旅は、高校1年の夏休み。名古屋と神戸、そして九州の親戚の家。
名古屋は、大の仲良しだった、ホントはとっても好きだった従兄のお嫁さんを見たかったから。

神戸は、大好きな従姉の、やはりこれも新世帯を見学。
そして九州は、幼い頃、おとうちゃん、おかあちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんと呼び、慕った家族に再会するための旅だった。

そして、本格的な独り旅は、高校を卒業した春、奈良への旅。
堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」という本を高校の教科書で習って、浄瑠璃寺を、それも春、馬酔木の咲くときに、どうしても訪ねたかったからだ。

この旅の詳細は、今も鮮やかに覚えている。
美しい浄瑠璃寺と九体仏、
堀辰雄の妻の言葉を髣髴とさせる、庭園と馬酔木、
「もう、およろしいの?」と訊く声が聞こえたようだった。

浄瑠璃寺から岩船寺への道、
あの道の趣は、もうこの日本には存在しないのかもしれない。

そして、
唐招提寺の荘厳な屋根、
それを愛でながら、仏像の見方、華麗さを教えてくれた塔頭の青年との出会い、
彼の描いていた「仏さん」の絵、
言葉少なく、彼と歩いた裏の墓地、その苔生した墓石の緑、

唐招提寺から薬師寺への、西ノ京の道、
遠くに山々、お寺さんの影、
今も眼に浮かぶ、
胸にあの感動が蘇る。

日本の雅に目覚めた、独り旅。


なのに、ああ、
あの日本美は、もう、無くなった。
私の怒りの根源は、日本の馬鹿げた政治屋への怒りは、おそらくあの日本の美を根こそぎ破壊してしまった輩への怒り。


唐招提寺の塔頭の青年が、その歌碑を口遊んだ和歌
大寺の まろき柱の 黒影を
土に踏みつつ ものをこそ 思へ
              会津八一

 
今日もご縁を頂いてありがとうございました。
!VAYA CON DIOS!
あなたに幸あれ♪



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