身も心も健康に 記事


癌から生還した母の経験

母は腰痛以外、病院に縁のない人でした。
仕事をリタイアした60歳を過ぎてからも、新しい趣味を見つけ、自身の生活を楽しんでいました。

若い頃読めなかったという本に没頭したり、津軽三味線を弾いたり聴きに行ったり、ザックを担いで日本各地を旅行したり、と、満喫していました。

或る日、近所の外科医から私が呼び出されました。そこは母が腰痛治療に通っている、母の家から歩いて5分足らずの胃腸科外科。息子が幼い頃、ヘルニアの手術を受け、私も腰痛で1週間、入院したことがある馴染みの医院です。

「お母さんが胃の噴門癌です。すぐ手術しなければなりません、本人には胃潰瘍ということで」
レントゲン写真を見せて、医師が言いました。

私は一瞬目眩を感じ、それでも努めて冷静に、
「母は注射すらさせないですから、手術は、どうでしょう?しないんじゃないですか?」、
「病院も検査も嫌いなお母さんが、検査をしてほしいと言ったのですよ。もうかなりお辛いはずです。手術しなければ」
「もし母が手術を拒否したら?」
「余命1年、でしょう、長くて」
「母のような高齢の場合、進行しないと聞いたことがありますが」
「お母さんは大変活発な方で、若い人と同じように元気ですから、進行は速いと思います。放置は出来ないです。それに、まもなく、食事が喉を通らなくなるでしょう。噴門にある癌が胃を塞いでしまいます」

美味しいもの好きの母が食べられなくなる!

私よりも食の逞しい母はいつも、
「毒を食らわば皿まで」なんて冗談を言いながら、旺盛に肉や揚げ物を好んで食べていました。若い頃から健啖家で、ヘビースモーカー。

自信家で、人の意見などは聞かない母。その母が、
「その横内先生というお医者の治療を受けたい。治るまで煙草は止めてみるから」と言いました。

「死んでも煙草だけは止められない、煙草を止めるくらいなら死んでいい」
ヘビースモーカの母に、私が煙草を控えるようにと言うと、返ってくる言葉はいつもこうでした。

けれど今、
「手術だけは絶対イヤ!」
「コロリと死ねるならいつ死んでもいいが、苦しみたくは無い。食べられないのも困る」と言い、何か口にすると、嘔吐するようになっていて、
「横内医師は、喫煙は癌の要因でもあるから喫煙していたら癌は治らない、と言っているから、止めなければ横内先生を紹介できない」と言う私の言葉に、母は、禁煙を決断したのです。よほど辛かったのでしょう。

横内医院は予約制で、初診は半年後でした。それほど混んでいたのです。
けれども横内医院では、患者の症状と写真(顔・全身など)、日頃の飲料水、できればレントゲン写真(しかし日本の病院は患者のカルテやレントゲン写真を患者に渡さないところが多い)などを送付すると、「とりあえずの薬」を送ってくれます。

そして、横内医師の著書にある、“癌にならない食事と生活スタイル”を実行すること。
「とりあえずの薬」は、横内先生が調合し、更に先生の“氣“を入れた漢方薬。
横内先生は、特殊と言えるほどの強い“氣”を持っている医師です。

母は、食べてはいけないものを、きっぱり止めました。勿論、禁煙。
毎日、午前30分、午後30分の散歩。

2週間ほどで、母は嘔吐が止まったのです。
それらを報告すると、横内医院から別の漢方薬が送られてきました。
2週間、あるいは4週間毎に、漢方薬が変り、母は食事と生活スタイルを厳しく守りました。

こうして6ヵ月後に初診があったときには、癌は活動を停止していたのです。
本格的な治療が始まり、母はみるみる元気になり、
「あたしは本当に癌だったのかな? こんなに速く良くなるなんて」と言うほど回復しました。

約2年後、横内先生から、
「癌はあるけれどもう生きていない、瘡蓋の様になっている。
体質改善の漢方は、もう少し続けよう」

そして、3年後、
「もう何の薬も飲まなくていいよ」と言われたときには、母の方が、
「怖いからもう少し飲んでいたい」と言ったのでしたが、先生は、
「必要ないよ。残ってる薬は冷凍庫に入れておいて。
生活は健康なスタイルを守ってね」と、母は無罪放免!されたのでした。


<母が癌治療のために実行した生活スタイル>
 ☆禁止された食べ物:
四足動物の肉類・赤身の魚・卵・牛乳・乳製品・加工食品・揚げ物など。
 ☆推奨された食べ物:
パセリ(重金属を流す)を毎日。野菜類。

 ☆食事のときには正座して、感謝を持って食べること。
よく噛む事、食べ物が口の中で溶けるほど咀嚼すること。

☆ 電子レンジは使わないこと、テレビは2メートル以上離れて見ること、電気製品のコンセントは抜いておくこと、などなど。

☆ 毎朝・毎晩、北の方角を向いて“氣”の入った布を後頭部と百会に、それぞれ40秒当てること。この“氣”を、常に身につけていること。

☆ 午前・午後、それぞれ30分の散歩。

☆ 電磁ブロッカーを常に身につけていること。

また、治療用の“氣”を、患部やポイントに貼っていました。
(ちなみに私は、この“氣”のテープを、海外へ長時間飛行機に乗るとき、必ず左手の中指の爪に貼っています。私には不思議なことですが、時差が起こりません。キューバに着いたその日から通常に動けます)

尚、詳しくは、横内正典医師の著書にありますから、ご一読をお奨めします。
多くの方の「末期癌からの生還記」もあります。

母のほか、友人・知人の甲状腺がん・乳がん・子宮ガン・膀胱がんなどが、横内医師の治療で治り、みなさん元気になられています。

横内医師とそのスタッフの方々に、感謝を持ってこれを記しました。
“健康”こそ、人生の宝です。
この頁を訪ねて下さったあなたの健康を願って。



☆ 写真は、家の近くのポリクリニコ(総合診療所)の若い医師たち



“変えられるのは、自分だけ。人は変えられない”